|
高札場(下呂温泉)概要: 案内板によると「 江戸時代、ここに下呂郷湯之島まら、富山、高山や、金山、関、中山道太田宿を結ぶ飛騨街道と、中山道津川宿に至る南北街道が分かれていました。このように交通の要所のため、湯之島(下呂宿)には本陣や、荷駄の取り次ぎのための馬繋場として伝馬宿が置かれ賑わいを見せていました。江戸時代、幕府は御禁制の条目や法令を、村や町の要所に設けられた高札場に、高札として掲示しましたが、高札の数は地域によって異なり、内容は切支丹高札、火付物高札、徒党高札などがありました。湯之島には、伝馬宿があったこの場所に高札場を設け、荷駄高札や、年間3万人を超す湯治客に関するお触れも掲示されたものと思われます。この伝馬宿の「問屋役」であった武川家は、現在も「とんや」の屋号を継承しています。 湯之島区 下呂温泉株式会社 」とあります。詳細は不詳ですが明治5年(1872)に宿駅制度が廃止になると下呂宿も廃され、高札場も機能を失ったと思われます。現在の高札場は復元したもので往時の様子を伝えています。
|
|
高札場 |
|
下呂温泉:周辺・観光・歴史・写真 |
|
|
|