鬼の相撲場(草津温泉)概要: 草津温泉に西側にある西の河原は源泉が湧き出し、 荒涼とした景観から鬼の泉水と呼ばれていました(湯畑から西の河原まで温泉街を通り抜けて行く事が出来、鬼の相撲場は西の河原よりさらに登った所にあります)。その西の河原の西端には自然に並んだ石が土俵のように形造っていた為、鬼の角力場や鬼の相撲場と呼ばれ古くから名勝として有名でした。江戸時代後期の大衆作家で浮世絵師である十返舎一九は「上州草津温泉往来」で鬼の相撲場のことをに「天狗山微雨の夜、山上に火を燃すことその数おびただし。鬼の角力場、土俵の形おのずから石ならびてその名となる」と記しています。十返舎一九は江戸時代後期の文政年間(1818〜1830年)に2度草津温泉を訪れ、「上州草津温泉往来」は文政6年(1823)に編纂、さらに「続膝栗毛続膝栗毛第十篇・上州草津温泉道中・上下」、「方言修行善光寺草津温泉道中金草蛙」も発表し当時の草津温泉の様子を紀行文や図絵によって詳しく紹介しています。
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