草津温泉(日本三名泉)概要: 草津温泉の歴史は古く日本武尊(東夷東征の帰途の際、湯煙を発見し、御座石に座り湯に浸かった。)や行基 (養老5年:721年、行基が草津温泉を発見し薬師如来像を安置した。)、源頼朝(建久4年:1193年、狩の際この地を訪れ源泉を発見し湯屋を建て湯治した。)が発見、開湯したとの伝承が残っています。草津温泉の名称の由来は「くさうず・くそうず」など臭う水が湧き出していたことが訛ったとも、大般若経の中のにある「南方有名是草津湯」の一文から来たとも云われています。歴史的には建久4年(1193)には源頼朝が家臣となった湯本氏に草津温泉の開発を命じたとされ、以来、湯本氏が開発、経営を取り仕切ってきました。室町時代に入ると全国に知名度が広がり、湯本氏は多くの大名に硫黄を献上したとの記録が残っています。江戸時代に入ると沼田藩の支配下に入り藩主である真田氏が移封になると以後は幕府の直轄地として開発が続けられました。当時は60軒程の湯宿があり年間の湯治客が10000人を超えるなど、都市部から離れた温泉地としては異例の賑わいだったとされ「草津千軒江戸構え」などと称されました。著名人も数多く草津温泉に訪れており伝承も含めると木曾義仲、巴御前、長尾為景、丹羽長秀、堀秀政、前田利家、大谷吉継、豊臣秀次、朝日姫、小林一茶、十返舎一九、高野長英、佐久間象山などなど、小林一茶は「草津道の記」という紀行文、十返舎一九は「上州草津温泉道中・続膝栗毛第十篇」、「方言修行善光寺草津温泉道中金草鞋」などを記し広く草津温泉の名を広げ江戸時代後期に製作された温泉番付(諸国温泉功能鑑)では東之方の大関(番付には横綱が無かった為、事実上の最高位。西之方の大関は有馬温泉。)に格付けされました。又、江戸幕府8代将軍徳川吉宗が草津温泉の湯を江戸城まで運ばせた事から「将軍おくみ上げの湯」としても名を馳せました。明治時代になるとドイツ人医師のベルツ博士により、草津温泉の泉質が科学的に証明され、その効能や効力が広く知られるようになりました。現在でも草津温泉では自然湧出量毎分32300リットルを誇り、酸性度、ph2.1、神経痛、慢性消化器病などに効能があるとして多くの湯治客、観光客で賑っています。草津温泉は有馬温泉(兵庫県神戸市)、下呂温泉(岐阜県下呂市)と共に日本三名泉に、伊香保温泉(群馬県渋川市)、四万温泉(群馬県中之条町)と共に上毛三名湯に、有馬温泉、松之山温泉(新潟県十日町市)と共に日本三大薬湯に数えられています。
草津温泉(群馬県)の泉質: 酸性・含硫黄−アルミニウム−硫酸塩・塩化物温泉
草津温泉(群馬県)の効能: 神経痛、慢性消化器病、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節の強張り、疲労回復、動脈硬化症、打ち身、切り傷、筋肉痛、慢性皮膚病、火傷、虚弱児童、挫き、健康増進、痔疾、冷え性、病後回復、慢性婦人病など
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