鷲湯碑(白根神社)概要: 草津温泉の鎮守である白根神社境内に建立されている碑で、案内板によると「 鷲乃湯は、草津温泉で最も古い共同浴場で、滝下通りにあって、昭和44年(1690)まで時間湯の浴場として多くの湯治客に利用されていました。この碑は明治37年(1904)に湯治客たちが温泉の効能に感謝して建てたもので、碑文は当時の日本皮膚科学の指導者土肥慶蔵博士が草津温泉の発展を予見し、傷ついた鷲によって発見されたといわれる鷲乃湯の由来と効能をたたえたものです。また、筆跡は明治の三筆といわれた巌谷一六先生の作で、碑の側面には鷲乃湯の湯長小松原勝蔵の偉徳記が刻まれています。 草津町教育委員会 」とあります。巌谷一六は天保5年(1834)、水口藩(滋賀県甲賀市)の藩医巌谷玄通の子供として生まれ政治家、書家として大成し日下部鳴鶴・中林梧竹と共に明治の三筆に数えられました。土肥慶蔵は慶応2年(1866)、越前領(福井県越前市)で医師であった石渡宗伯の次男として生まれドイツ、オーストリア、フランスに留学し日本皮膚科学会を発足、ハンセン病にも精通していた事から草津温泉の効能に着目していたのかも知れません。草津鷲湯碑は草津町指定文化財に指定されています。
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