地蔵堂(草津温泉)概要: 地蔵堂の創建は文化5年(1808)に開かれたのが始まりとされ、草津温泉を支配した湯本氏 (祖先は源頼朝に従った武士で頼朝から草津温泉の開発と湯守を命じられたとされる。)の一族である細野氏と関係が深いとされ常楽院と称していました。修験の寺院だったとの事から白根山修験や山号の葛城山からは金峯山寺(蔵王権現)とも関係があったのかも知れません。本尊の石地蔵(像高25Cm)は木曾義仲の護持仏だったと伝えられるもので、草津には「義仲の残党が落武者として移り住んだ。」「義仲は草津近くの六合村で育った」との伝説が残っています。寺運が栄えていた時は多くの堂宇が建てられ門前は盛り場となっていたようでが明治時代初頭に発令された神仏分離令と明治5年(1872)に発令された修験道廃止令により衰退し境内にあった大日堂は解体され不動堂は光泉寺へ移されました。地蔵堂の境内ある湯畑の前には目洗い地蔵が安置されていて、案内板によると「 安政の頃、徳兵衛なる者眼病を患いし時、地蔵菩薩夢枕に立ちこの場で目を洗えば治癒すべしとお告げありさしもの眼病忽ちに治癒す。人々これを聞きてこの湯を用い眼病を癒しその功徳をたたえ地蔵尊を建立す。」とあります。
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