木曽義仲(日本三名泉:草津温泉)

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草津温泉・偉人・歴史・由来

木曽義仲・伝説: 草津温泉(日本三名泉)には幾つか木曽義仲関係の伝説・伝承が伝わっています。地蔵堂久寿2年(1155)、木曽義仲は僅か2歳で駒王丸と呼ばれていた時、父親源義賢は兄源義朝との確執から排斥され、さらに居城である大蔵館(埼玉県比企郡嵐山町)が源義平(義朝の長男)によって攻められ落城、義賢も討死しました。その際、駒王丸は家臣達に守られながら戦線を離脱して草津温泉に逃げ隠れ、その後、入山村(義仲が世に立った地に因み「世立」との地名が残っています)、元服後に木曽谷(長野県:木曽川上流の渓谷、中山道(木曽路)の宮ノ越宿周辺には特に義仲縁の徳音寺など史跡や伝説が多い)に移り幼少期を過しました。青年に成長した義仲は木曽源氏の頭領、旗頭となり、周辺の源氏をまとめ挙げ寿永2年(1183)には倶利加羅峠(現在の富山県と石川県の県境で北陸街道の経路)の戦いで、平家の主力と激突し、激戦の末勝利、この戦いが分水嶺となり、平家は大きく凋落し、義仲は勝利を重ねながら京都に上洛し、平家は都落ちとなっています。当時の義仲は朝廷とも密月関係で朝日将軍を名乗る事を許され、さらに寿永3年(1184)には征夷大将軍に任ぜられるなど謳歌しましたが、軍事力を背景に言動が大きくなると次第に煙たがれる存在となり、長期に大軍を滞在させた為、地蔵堂極端な食料不足と治安悪化を招き、結果的に朝敵として源頼朝から源範頼、源義経の軍を派兵され激戦の末敗退し、粟津(滋賀県大津市:遺骸を埋めたと伝わる義仲寺が建立されています)で討死しました。その際、義仲の家臣である望月御殿助の娘が義仲の愛妾として身ごもっていた事から、娘の身を案じた御殿助は逸早く戦場を離れ、草津温泉に逃げ隠れました。その後、娘は細野と呼ばれる土地で男子を産み、親子3代で慎ましく生活していましたが、建久4年(1193)、敵である源頼朝が浅間山で狩をする事となり、土地を熟知していた御殿助が案内役となり、道案内や頼朝の身の回りの世話などを行った為、その功により草津周辺の領地と草津温泉の湯守の任、湯本の姓、三日月の家紋が与えられました。その後、娘の子供、即ち、義仲の子供が湯本の家を継ぎ、代々草津温泉の湯守を歴任したと伝えられています。

一方、草津温泉の開湯伝説によると建久4年(1193)、源頼朝が浅間山で巻狩りを行った際、草津温泉で入湯し、その際世話になった木曽義仲の旧臣(残党)細野氏を当地の地頭とし湯本の姓と三日月の家紋を与えたとされます。付け加えると、鎌倉幕府の正式な歴史書である「吾妻鏡」に記載されているとまで言っています。当然、「吾妻鏡」にそのような記述はありませんが、上記の伝承では義仲の家臣は望月御殿助で、下段の由来では細野氏と異なり、娘が男子を産んだ土地が「細野」である事から、これらの事が混同しているのかも知れません。又、上段では湯本氏の2代目から木曽義仲の遺児が継いだ事となっていますが、下段ではその事について触れられていません。

草津温泉から程近い旧六合村(現在は中之条町)赤岩集落の名主を歴任した湯本家の由来では、湯本家の祖は木曽義仲の家臣で、義仲の討死後に細野平に隠れ住み、細野御殿介を名乗り、草津温泉を発見、その後は上記の由来と同様に頼朝から草津周辺の領地と湯本姓を賜ったとされます。江戸時代初期に本家は断絶し、一族が旧六合村に再び戻り赤岩湯本家の祖になったと伝えられています。

その他にも草津温泉には義仲関係の伝説が残され、例えば地蔵堂の本尊である高さ25cmの石仏は義仲の守本尊と伝えられている。や、殺生河原下にある武具脱の池は頼朝に追われた義仲の残党(旧家臣)が武具を脱ぎ捨てた場所。などが伝えられています。

木曽義仲は草津温泉の象徴的存在である湯畑の石柵にその名が刻まれています。

草津温泉(日本三名泉):観光・見所
湯畑
草津温泉:湯畑
草津温泉・湯畑
光泉寺
光泉寺
光泉寺
西の河原
西の河原
西の河原
白根神社
白根神社
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白根山
白根山
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白旗の湯
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地蔵乃湯
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ベルツ・スクリバ両博士像
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鬼の相撲場
鬼の相撲場
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鬼の茶釜
鬼の茶釜
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