白根神社(草津温泉)概要: 白根神社の創建は不詳ですが古くから白根山信仰の中心としてその山頂に鎮座していました。律令政治下(貞観5年:863年、当時の式部省の命で各国の神社の詳細をまとめさせた。)で制作された上野国神名帳(上野国十四郡諸社神名帳:群馬県指定重要文化財)によると白根神社は「吾妻郡十二座従一位白根明神」と記されていることから吾妻郡に鎮座する神社の中で一番格式が高く貞観5年(863)以前からの古社ということがわかります。白根神社は早くから神仏習合し、御神体である白根山は修験僧の修行の場として信仰の対象となり、湯釜縁から発見された遺跡からは平安時代後期の保延4年(1138)前後の笹塔婆(小型の卒塔婆)が数多く見つかっています。
「武具脱の池」の名称は白根山修験の修行僧が、この池で、甲冑とみなされていた頭巾や法衣を脱ぎ、身を清めてから白装束に着替え山頂に登拝した事に由来しているとされ、当時の信仰の一端が窺えます。さらに、鎌倉時代初期の正治2年(1200)には草津温泉の湯守である湯本氏が白根神社の別当寺院として光泉寺を再興し温泉街にも信仰の拠点が整備されています(由緒上、光泉寺は奈良時代の高僧として知られる行基菩薩が開山した事になっています)。
明治時代初頭に発令された神仏分離令と明治5年(1872)に発令された修験道廃止令により仏式が排され、現在の運動茶屋公園内の皇大神社の周辺にあった白根山の遥拝所を明治6年(1873)に現在地に遷座し社号を「白根神社」に改め草津の郷社に列しました。祭神は日本武尊(不勉強の為、元々祀られていた白根明神が何処で日本武尊に変わったのか不詳。日本武尊は草津温泉を発見したとも伝えられている事から草津の住民からは信仰しやすかったとは思います。)が祭られ、毎年7月17・18日に行われる例祭(氏神祭り)は白根神社境内や湯畑など中心に草津温泉全体っで行われ白装束の小若連が神輿を担いで町中を練り歩き多くの露店が並びます。
白根神社の社殿は明治15年(1882)に改築されたもので、拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間向拝付き、本殿は切妻、妻入り、銅板葺き。境内には白根神社の社殿の他、芭蕉句碑(天保13年:1842年一夏庵坂上竹烟により建立「夏の夜や谺にあくる下駄の音」草津町指定文化財)や草津鷲湯碑(明治37年:1904年湯治客の浄財で建立、草津町指定文化財)、高村光太郎碑、十返舎一九碑、六角石憧供養塔(延享3年:1746年本治雄の妻恒子により建立)、宝篋印石憧供養塔(享保16年:1731年湯本治雄により建立)などが建立されています。
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