光泉寺(草津温泉)概要: 湯畑に隣接する草津山光泉寺の創建は養老5年(721)、行基菩薩が草津温泉を発見した際、自ら薬師如来像(日本温泉三大薬師:草津温泉の光泉寺の他、有馬温泉:兵庫県神戸市の温泉寺・山中温泉:石川県加賀市の医王寺・道後温泉:愛媛県松山市の石手寺・城之崎温泉:兵庫県豊岡市の温泉寺などが自称しています。)を彫り込み安置したのが始まりと伝えられています。当初は薬師堂などと呼ばれてきましたが、建久4年(1193)に源頼朝が入湯の際、光泉寺と寺号を改称、正治2年(1200)には領主である湯本氏によって境内整備が行われ白根明神(現在の白根神社)の別当寺となりました。中世は僧兵によって武装化し戦闘にも参加、南北朝時代は南朝側に属していた事もあり、南朝の名だたる武将の神札が奉納されています。文明13年(1481)には近衛道興(関白近衛房嗣の子供、出家して聖護院門跡となる)の尽力もあり勅願寺となり後花園天皇(第102代天皇)の勅額や後柏原天皇(第104代天皇)の震翰を賜るなど寺運も隆盛し宗祇、宗長、近衛龍山といった公家達の宿所にもなりました。江戸時代に入り宝永7年(1710)と宝暦6年(1756)の2度の火災の為、多くの堂宇、寺宝、記録など焼失しましたが釈迦堂が現存し草津町指定文化財に指定されています。釈迦堂は元禄16年(1703)に外嶋玄賀宗静(江戸出身の医師)の発願、施主は湯本弥五右衛門(草津温泉の湯守?)により建立されたもので寄棟、茅葺、桁行2間、梁間2間、正面唐破風向拝付、外壁は朱色で向拝の蟇股に彫刻された神像が印象的です。その他にも境内には宝篋印塔(安永2年:1773年に井堀観音堂から移設)や芭蕉の句碑、入浴逝者供養塔、魚籃観音などが建立されています。関東九十一薬師霊場第四十四番札所。宗派:真言宗豊山派。本尊:薬師如来。
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