草津街道: 高崎城

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高崎城・城下町

高崎宿・概要: 高崎宿は中山道と三国街道、信州街道(草津街道)の分岐点であると当時に高崎藩高崎城の藩庁と藩主居館が設置された高崎城の城下町として発展しました。中山道の宿場町としては江戸日本橋から13番目、三国街道と信州街道(草津街道)は起点(終点)となっています。本陣や脇本陣は設けられませんでしたが、当地域の行政、経済、軍事の拠点として多くの人々が集まり「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺ののれんがひらひらと」と詠われ、街道筋には田町、本町、新町などの町が成立し六歳市(月に6回の市)が開かれ多くの商品や物資が取引され多くの町屋建築が軒を連ねました。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると宿場の町の長さ22町11間、人口3235人、家屋837間、旅籠15軒と記載されていました。

高崎城・概要: 高崎城の前身である和田城は平安時代末期に和田義信により築かれたとされます。室町時代に入ると和田氏は関東管領上杉家に従っていましたが、戦国時代に入ると上杉謙信を離反し武田信玄や北条氏など主家を変え、天正18年(1590)の小田原の陣の際、豊臣方の前田利家や上杉景勝の侵攻により落城しています。同年、徳川家康の関東移封により当地に配された井伊直政は、和田城を廃棄し箕輪城を居城としてしていましたが、慶長2年(1597)、徳川家康の命により和田城の大改修が行われ、慶長3年(1598)に居城を移し高崎城に名称を改めています。高崎の地は交通の要衝で重要視されていた事から有力譜代大名が配されましたが、短期間での交代が多く安定しませんでした。城は大きく本丸、二ノ丸、三ノ丸に分かれ、本丸には三重御櫓(天守閣)をはじめ、乾櫓(北西隅櫓)、坤櫓(南西隅櫓)、艮櫓(北東隅櫓)、巽櫓(南東隅櫓)、本丸御殿があり、二ノ丸には二ノ丸御殿、三ノ丸には武家屋敷が配されました。明治維新後に高崎城は廃城となりましたが、水堀や土塁の一部が高崎市指定史跡、乾櫓が群馬県指定重要文化財に指定されています。

大信寺・概要: 願行山大信寺の創建は元亀元年(1570)、内藤大和守が総誉清巌上人を招いて開いたとされます。徳川忠長は実兄である3代将軍徳川家光との対立から寛永8年(1631)に蟄居が命ぜられ、寛永9年(1632)には当時の高崎藩主安藤重長に身柄が預けられ高崎城に幽閉されました。寛永10年(1634)、それを苦とした忠長は自刃しましたが、その罪は許されず延宝3年(1675)に大信寺に設けらた霊廟にも鎖で囲われ「鎖の御霊屋」と呼ばれました。徳川忠長の墓(附:忠長の霊牌その他)は昭和41年(1966)に高崎市指定史跡に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

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草津(信州)街道・宿場町

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