真田道: 中山新田宿・本宿

  日本三名泉(ホーム)日本三名泉への道(草津街道)>中山新田宿・本宿

三国街道

三国街道: 三国街道は、信濃国、越後国、上野国の3国に跨る三国峠(峠の頂には三国権現が鎮座し周辺住民の信仰の対象となった)を越える事から、名付けられた街道で、経路は高崎城(群馬県高崎市)の城下町から、日本海沿いに位置する北陸街道の宿場町で佐渡島への渡航地でもあった寺泊(新潟県長岡市寺泊)に至り、日本海側の海産物を上野国(上州)に運ぶ経路の1つとして古くから重要視されてきました。戦国時代に入ると春日山城(新潟県上越市)を居城とした上杉謙信が関東に兵を進める軍事用の道路として整備され、大軍の移動と補給路の確保、後方支援の兵の待機場として街道沿いには上杉家関連の中世の山城や砦などが築かれました。江戸時代に入ると、越後諸藩である長岡藩(新潟県長岡市)と村松藩(新潟県五泉市)の参勤交代の経路(与板藩(新潟県長岡市)は基本的に北国街道を利用していましたが、諸事情により三国街道を利用する場合もありました)、佐渡奉行、関八州取締出役(新潟港巡検)、佐渡送り無宿人、囚人の通行などにも三国街道が利用されています。

中山新田宿・本宿

中山本宿: 本宿は、三国街道の開削に伴い慶長17年(1612)に整備された宿場町で本陣や問屋、旅籠3軒、家屋82軒の規模でした。本陣兼問屋は代々平形惣兵衛家が歴任し、参勤交代で通過する大名や幕府の役人など身分の高い人物の休息や宿泊、物資輸送の取次などを行いました。主屋と長屋門は大正12年(1923)、落雷による火災で焼失しましたが、表門と庭園が残され往時の名残が見られます。代々問屋を歴任した平形徳右衛門家は長岡藩の荷物の取り扱いや、越後(新潟県)の太物商(綿織物類)や海産物商(乾物類)などと取引をして繁栄しました。現在も街道沿い

中山新田宿: 新田宿は元和10年(1624)、本宿から西に約500m離れた位置に新たに町割された三国街道の宿場町で、本陣や問屋、旅籠4軒、家屋49軒の規模でした。宿場の仕事は本宿と交代で行いましたが、経路的には新田宿側の方が短かった為、通過する人数は新宿の方が多かったとされます。本陣は代々平形作右衛門家(本宿本陣職と勤めた平形惣兵衛家の分家筋)が勤め、さらに、宿場の名主や問屋も兼務し明治時代には戸長や中山村三等郵便局長なども歴任しました。現在の建物は江戸時代末期に長屋門として建てられ明治時代に増改築されたもので、木造2階建、切妻、鉄板葺、平入、2階正面が前に張り出す出桁造り、外壁は真壁造り、三国街道沿いに残る数少ない本陣建築の遺構として貴重な存在です。

高山村の真田家縁の史跡

中山城: 中山城は建保2年(1214)に阿佐美氏(武蔵児玉党)によって築かれた中世の山城です。阿佐美氏は地名に因み中山氏を称し長く当地を支配しましたが、武田信玄の上州侵攻により武田家の家臣である真田家に従うようになります。天正10年(1582)、真田昌幸は主家である武田勝頼の自刃に伴い、織田家に転じましたが、同年、本能寺の変により織田信長が倒れ、関東地方を任されていた滝川一益が自領に引き上げる事になった為、小田原北条家に転じました。しかし、数ヵ月後、今度は徳川家に転じた為、真田家と北条家の間に確執が生まれ、沼田城を巡り攻防戦が繰り広げられる事となりました。中山の地は真田家の拠点である沼田城と、岩櫃城の中間に位置し、北条家側はこの両城の連携を遮断し沼田城侵攻の拠点とする為に、同年に北条家に従った白井長尾氏(白井城の城主)の侵攻を受け中山城は落城、その後は北条家方の城として整備、拡張されたと思われます。天正10年(1582)から天正12年(1584)にかけては古文書にも中山城と思われる城が度々登場し、十分に機能していたと思われますが、その後は利用されなくなり廃城になっています。

尻高城: 尻高城は応永8年(1401)、当時の白井城(群馬県渋川市)の城主長尾重国の命により築かれたとされます(長尾景春が築いたとも)。その後、吾妻次郎(吾妻太郎行盛の2男)が当地に配され、地名に因み尻高氏を称し代々当地を支配しました(長尾景春の3男重儀が当地に配され尻高氏の祖になったとも)。戦国時代の武田信玄の上州侵攻により家臣である真田昌幸が天正2年(1574)に尻高城を落城させ尻高氏は小田原北条氏に落ち延びたと思われます。その後、北条氏の後ろ盾を得て尻高源次郎が尻高城を奪取したと思われますが、中山城が北条家の拠点になると、移るように命じられ、その後尻高城は廃城になったと思われます。

並木城: 並木城は所謂、尻高城を詰城に対する尻高氏の居館で、歴史的経緯は尻高城と略同じと思われます。

真田道〜草津温泉への行程

沼田城
右
中山新田宿
右
中之条町
右
原町
右
郷原
右
大戸宿
右
須賀尾宿
右
須賀尾峠
右
長野原宿
右
草津温泉
湯畑

その他の草津温泉(日本三名泉)への道

大笹街道: 福島宿−仁礼宿−鳥居峠−大笹宿−鎌原宿−狩宿宿−須賀尾−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑
沓掛街道: 沓掛宿(中山道:長野県北佐久郡軽井沢町)−狩宿宿−須賀尾−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑)
草津街道: 高崎城神山宿室田宿三ノ倉宿大戸宿本宿須賀尾宿−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑)
草津街道: 新町宿(北国街道:長野市)−中野(中野市)−渋温泉(山ノ内町平穏)−渋峠−草津温泉(湯畑)
真田道: 沼田城下−中山宿(三国街道)−中之条町−原町−郷原−大戸宿−須賀尾−長野原宿−草津温泉(湯畑)
山田道: 小布施宿(長野県小布施町)−山田村−山田峠−草津温泉(湯畑)

 ※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。