真田道: 中山新田宿・本宿 |
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三国街道中山新田宿・本宿中山新田宿: 新田宿は元和10年(1624)、本宿から西に約500m離れた位置に新たに町割された三国街道の宿場町で、本陣や問屋、旅籠4軒、家屋49軒の規模でした。宿場の仕事は本宿と交代で行いましたが、経路的には新田宿側の方が短かった為、通過する人数は新宿の方が多かったとされます。本陣は代々平形作右衛門家(本宿本陣職と勤めた平形惣兵衛家の分家筋)が勤め、さらに、宿場の名主や問屋も兼務し明治時代には戸長や中山村三等郵便局長なども歴任しました。現在の建物は江戸時代末期に長屋門として建てられ明治時代に増改築されたもので、木造2階建、切妻、鉄板葺、平入、2階正面が前に張り出す出桁造り、外壁は真壁造り、三国街道沿いに残る数少ない本陣建築の遺構として貴重な存在です。 高山村の真田家縁の史跡尻高城: 尻高城は応永8年(1401)、当時の白井城(群馬県渋川市)の城主長尾重国の命により築かれたとされます(長尾景春が築いたとも)。その後、吾妻次郎(吾妻太郎行盛の2男)が当地に配され、地名に因み尻高氏を称し代々当地を支配しました(長尾景春の3男重儀が当地に配され尻高氏の祖になったとも)。戦国時代の武田信玄の上州侵攻により家臣である真田昌幸が天正2年(1574)に尻高城を落城させ尻高氏は小田原北条氏に落ち延びたと思われます。その後、北条氏の後ろ盾を得て尻高源次郎が尻高城を奪取したと思われますが、中山城が北条家の拠点になると、移るように命じられ、その後尻高城は廃城になったと思われます。 並木城: 並木城は所謂、尻高城を詰城に対する尻高氏の居館で、歴史的経緯は尻高城と略同じと思われます。
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