真田道: 郷原(東吾妻町)

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郷原(東吾妻町)

郷原(東吾妻町): 郷原は古くは真田氏の拠点である上田城の城下町(長野県上田市)や真田の庄(長野県上田市真田町)と沼田城下(群馬県沼田市)を結んだ真田道、江戸時代は三国街道の脇往還である大戸道(草津街道・信州街道)の集落として発展しました。正式な宿場町ではありませんが菅谷勘右衛門等3軒が宿泊所として提供していた為、事実上の宿駅のような役割をしていました。江戸時代中期以降は草津温泉(日本三名泉)の湯治客が増大した為、郷原を利用する人も多かったと思われます。江戸時代後期以降、養蚕業が盛んになると、主屋屋根裏で作業が行われた為、3階部分を増築する家も現れ、現在見られるような、特徴ある木造3階建の古民家が多く見られる町並みが形成されていきました。

郷原(東吾妻町)周辺の真田家縁の史跡

郷原城: 郷原城は岩櫃城の南西、岩櫃山から南東へ伸びた尾根に位置し、岩櫃城の支城、出城的な存在で、天正10年(1582)に真田昌幸が主家である武田勝頼を岩櫃城に迎え入れる為に御殿を造営し、その守護の為に築城されたと推定されています。主郭(本郭・2郭・3郭)を中心に土橋、馬出しなどがあり、各郭と間には深い堀切や竪堀によって分断され、大手口である郷原榛名神社と、搦手である勝頼館(潜龍院)方向には厳重な防御としていたと思われます。特に大手口の3郭の前には三日月型の土塁と堀切があり、その先は虎口となっています。結果的に勝頼が岩櫃城に辿り着く事が無く、その後も戦が行われていない事から戦場には成らならず、慶長15年(1615)に発令された一国一城令により岩櫃城が廃城に伴い郷原城も廃城になったと思われます。

潜龍院跡: 天正10年(1582)、武田勝頼の重臣だった真田昌幸は武田家の滅亡の危機に際して岩櫃城に一時退去して再起を図る事を提案し一端承認されました。これを受けて昌幸は岩櫃城の麓に勝頼の御殿を新築し、僅か3日で竣工したとされますが、結局昌幸の進言は破棄され小山田信茂の裏切りにより武田家は滅亡します。その後、祢津潜竜斎昌月(真田家のある一族が、昌幸が織田家に転じた事を恥じ出家して山伏になったとも、真田家に仕える忍者だったとも、何れにしても謎の多い人物らしい?)が潜龍院を創建、御殿だった建物は本堂として利用されました。天和2年(1682)に火災により焼失し、その後再建されましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動、修験道廃止令などにより衰微し明治17年(1884)に廃寺、残された護摩堂は顕徳寺に移されています。現在も御殿の跡と思われる石垣や背後の高台には墓碑群が残されています。

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真田道〜草津温泉への行程

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