草津街道: 大戸宿 |
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大戸宿大運寺: 天樹院大運寺の創建は興国年間(1340〜1346年)に宝誉上人が恵心僧都が自ら彫刻したという阿弥陀如来像を背負い当地に一宇を設けて安置したのが始まりとされます。大戸宿の豪商で上州の三大尽(加部家・佐羽家:桐生・鈴木家:富岡)に数えられた加部家歴代の菩提寺で、天正年間(1573〜1593)に大戸村寺原から現在地に移され加部家の寄進により荘厳な堂宇が造営されました。総門は切妻桟瓦葺、一間一戸、高麗門で、山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚二重楼門、外壁部は弁柄色に着色され上層部には高欄が廻り、花頭窓が採用されています。境内には加部家歴代の墓碑(東吾妻町指定史跡)が建立され、大運寺の本尊(鎌倉時代製作、木彫座像、像高51cm)は昭和47年(1972)に東吾妻町指定重要文化財に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。 大戸関所: 大戸関所は元和9年(1623)、2代将軍徳川秀忠が京都に上洛する際、素性の判らない通行人や武器などの出入を管理し、防衛施設の一環として設けられたのが始まりとされます。上洛が済むと役割も終えましたが、寛永7年(1630)幕府から目付が派遣され調査の結果、寛永8年(1631)に正式に関所が設置する事が決まりました。信州街道(草津街道)は中山道の脇街道的な存在で、取締りが厳しい碓氷関所を避ける為に利用する旅人や商人も多く、それらを大戸関所で取り締まりました。大戸関所は幕府直轄の代官が管理し、明六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までが通行時間と定められていました。明治時代初頭に宿場制度、街道制度が廃止になると関所も廃止になっています。
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その他の草津温泉(日本三名泉)への道沓掛街道: 沓掛宿(中山道:長野県北佐久郡軽井沢町)−狩宿宿−須賀尾−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑) 草津街道: 新町宿(北国街道:長野市)−中野(中野市)−渋温泉(山ノ内町平穏)−渋峠−草津温泉(湯畑) 真田道: 沼田城下−中山宿(三国街道)−中之条町−原町−郷原−大戸宿−須賀尾−長野原宿−草津温泉(湯畑) 山田道: 小布施宿(長野県小布施町)−山田村−山田峠−草津温泉(湯畑)
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