草津街道: 大戸宿

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大戸宿

大戸宿・概要: 大戸(東吾妻町)は中世大戸城(手子丸城 )の城下町として発展した町で当初は大戸氏(浦野氏)が支配しましたが、その後、北条氏に下った為、天正18年(1590)の小田原の陣により北条家が滅ぶと大戸氏も没落しています。代わって豊臣秀吉に従った岡成定が大戸領1万石が与えられ入封、慶長5年(1600)以後も領地が安堵され大戸藩が立藩しましたが元和元年(1615)の大坂の陣において豊臣方として行動した為に改易となり大戸藩は廃藩、大戸城も廃城となっています(大戸藩については不明に部分も多く、そもそも存在していないとの説もあります)。その後は旗本領を経て元和4年(1618)以降は天領となっています。信州街道(草津街道)が開削されると宿場町として整備され、中之条へと向かう脇道(大戸道・真田道)との分岐点という交通の要衝でもあった為、寛永8年(1632)には大戸関所が設けられ、人物改めや荷物改めなどが厳重に行われました。関所には大戸、荻生、本宿から関所番人を選出し近隣の11ヵ村は関所普請村として負担が強いられ、寛永3年(1850)には侠客で知られる国定忠治が関所破りとして御用となり当地で処刑されています。信州街道(草津街道)は基本的(例外あり)に諸大名の参勤交代で利用されなかった事から本陣や脇本陣は設置されませんでしたが問屋や宿屋などが軒を連ね江戸時代後期には70戸前後の家屋があり賑わっていました。

大運寺: 天樹院大運寺の創建は興国年間(1340〜1346年)に宝誉上人が恵心僧都が自ら彫刻したという阿弥陀如来像を背負い当地に一宇を設けて安置したのが始まりとされます。大戸宿の豪商で上州の三大尽(加部家・佐羽家:桐生・鈴木家:富岡)に数えられた加部家歴代の菩提寺で、天正年間(1573〜1593)に大戸村寺原から現在地に移され加部家の寄進により荘厳な堂宇が造営されました。総門は切妻桟瓦葺、一間一戸、高麗門で、山門は入母屋、桟瓦葺、三間一戸、八脚二重楼門、外壁部は弁柄色に着色され上層部には高欄が廻り、花頭窓が採用されています。境内には加部家歴代の墓碑(東吾妻町指定史跡)が建立され、大運寺の本尊(鎌倉時代製作、木彫座像、像高51cm)は昭和47年(1972)に東吾妻町指定重要文化財に指定されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

大戸関所: 大戸関所は元和9年(1623)、2代将軍徳川秀忠が京都に上洛する際、素性の判らない通行人や武器などの出入を管理し、防衛施設の一環として設けられたのが始まりとされます。上洛が済むと役割も終えましたが、寛永7年(1630)幕府から目付が派遣され調査の結果、寛永8年(1631)に正式に関所が設置する事が決まりました。信州街道(草津街道)は中山道の脇街道的な存在で、取締りが厳しい碓氷関所を避ける為に利用する旅人や商人も多く、それらを大戸関所で取り締まりました。大戸関所は幕府直轄の代官が管理し、明六つ(午前6時)から暮六つ(午後6時)までが通行時間と定められていました。明治時代初頭に宿場制度、街道制度が廃止になると関所も廃止になっています。

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草津(信州)街道・宿場町

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その他の草津温泉(日本三名泉)への道

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