草津街道: 神山宿

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神山宿

神山宿・概要: 神山宿は延享3年(1746)、中山道の脇往還である信州街道(草津街道)の宿場町として成立しました。信州街道は、北信州と江戸を最短で結ぶ為、飯山藩、須坂藩、松代藩の廻米は信州街道を利用して江戸まで運ばれる事が多く、神山宿はその廻米の継場として発展しました。寛延元年(1748)には篠塚藩(群馬県邑楽郡邑楽町)から松平忠恒が2万石で入封し上里見藩を立藩、陣屋は上里見神山三町に設けられ、小城下町として整備されたと思われます。忠恒は奏者番や寺社奉行、若年寄などの要職を歴任し明和4年(1767)に小幡藩に移封となり上里見藩は廃藩、陣屋も廃されたと思われます。その後は信州街道(草津街道)は上記の3藩の他、草津温泉の湯治客や善光寺詣での参拝者などで同区間の北国街道、中山道と同等以上の通行者があり、神山宿も利用されました。烏川の対岸には神山宿と同じように宿場町として成立した室田宿があり、廻米や宿泊客の取り合いが激しく宿場制度が廃止される明治維新まで続けられました。

春日神社: 神山宿の鎮守である春日神社の創建は寛文4年(1664)、諏訪神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。享保9年(1724)、当地に雷が落ち天領陣屋が落雷による火事で焼失する事故が起きました。当時の別当寺院だった常福寺の住職相空法印が雷を鎮める為に一計を案じ、雷神が祀られている春日大社の分霊を勧請する為に使者4名を京都まで派遣し、主祭が建御電命になったとされます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色は一掃され、村社に列し、明治時代後期は周辺集落の氏神が合祀されています。

常福寺: 常福寺の創建は不詳ですが当初は伊勢山の屋敷跡(上里見字伊勢山1583番地)にあったとも云われ、承応2年(1653)に現在地に中興しています。江戸時代は鎮守である春日神社の別当寺院として祭祀を司ってきました。境内にある回国供養塔は貴重なものとされ昭和57年(1982)に高崎市指定重要有形民俗文化財に指定されています。

草津(信州)街道・宿場町

高崎城
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神山宿
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室田宿
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三ノ倉宿
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大戸宿
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本宿
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須賀尾宿
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須賀尾峠
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長野原宿
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草津温泉
湯畑

その他の草津温泉(日本三名泉)への道

大笹街道: 福島宿−仁礼宿−鳥居峠−大笹宿−鎌原宿−狩宿宿−須賀尾−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑
沓掛街道: 沓掛宿(中山道:長野県北佐久郡軽井沢町)−狩宿宿−須賀尾−須賀尾峠−長野原宿−草津温泉(湯畑)
草津街道: 新町宿(北国街道:長野市)−中野(中野市)−渋温泉(山ノ内町平穏)−渋峠−草津温泉(湯畑)
真田道: 沼田城下中山宿(三国街道)中之条町原町郷原−大戸宿−須賀尾−長野原宿−草津温泉(湯畑)
山田道: 小布施宿(長野県小布施町)−山田村−山田峠−草津温泉(湯畑)

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