草津街道: 三ノ倉宿

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三ノ倉宿

三ノ倉宿・概要: 信州街道(草津街道)の宿場町で倉渕村の中心として発展しました。街道沿いは付近の神社の境内には数多くの双体道祖神(夫婦和合の姿)が建立されています(落合、下諏訪神社、猪毛、長井、熊久保、神明宮、産泰宮:町指定)。権田地区は宝永元年(1704)以降小栗家が支配し、東善寺には幕末の幕臣だった小栗上野介忠順の墓碑が建立されています。

東善寺: 東善寺は古くから小栗家と縁があったとされ、江戸幕府が滅ぶ直前、旧幕臣で最後まで新政府軍と戦おうとしていた小栗上野介が一転して領内に隠遁生活をする為に邸宅を造営する間、仮住まいをした寺院です。仮住まいしてから2箇月余りすると、正式に幕府から帰農許可を得ていたにも関わらず、豊永貫一郎、原保太郎が率いた高崎藩、安中藩、吉井藩兵などの新政府軍が東善寺を取り囲み小栗上野介と家臣3名(荒川祐蔵・大井磯十郎・渡辺太三郎)が捕縛し全く理由も無く水沼河原で斬首されました。翌日、養子である又一も高崎城で斬首されています。小栗上野介は開国以来の幕府の近代化に尽力し、外国奉行や勘定奉行を要職を歴任、横須賀製鉄所の建設や外国語学校の建設、軍隊の近代化など様々な分野で功績を挙げ、明治維新後の新政府の文明開化路線は小栗の模倣でしかないとまで云われています。東善寺の境内には小栗上野介や一族、一緒に斬首された家臣などの墓碑や供養塔などが建立されています。宗派:曹洞宗。

全透院: 三倉山全透院の創建は延徳元年(1489)、当時の領主木部新九郎によって開かれたのが始まりとされます。延徳2年(1490)木部新九郎が死去すると当寺に葬られたと思われ本堂には戒名「萬流院境山随心庵主」が刻まれた位牌が安置されています。大永2年(1522)に大戸城主浦野重勝が現在地である栗崎城跡(三ノ倉城三ノ郭)に堂宇を造営、紹舜大和尚(長年寺5世)が召還し中興開山しています。山門は明和9年(1764)に建立されたもので、入母屋、瓦棒葺、正面軒唐破風、一間一戸、鐘楼門、木部は弁柄色に染められ、細部には精緻な彫刻に極彩色で彩られ格式が感じられます。地蔵堂は入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、正面1間軒唐破風向拝付、桁行3間、梁間3間、延命地蔵尊が本尊として安置されています。境内に建立された芭蕉句碑には貞亨3年(1686)に詠まれた「古池や蛙飛込水の音」の句が刻まれています。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦牟尼仏。

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