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啼子之碑(大崎市)概要: 啼子之碑は温泉神社の参道沿いの鳥居前に建立されています。案内板によると「 寛政11年(1799)9月湯守の遊佐勘左エ門定保、大沼三郎次寿、大沼善十郎良豊等によって建立されたものである。碑には鳴子の位置や、源義経主従が源頼朝に追われ平泉の藤原秀衡を頼って落ちのびる様子、亀割山での亀割丸の誕生、鳴子村の河原に湧き出る湯でははじめて産湯を使ったこと等や、地名由来の口碑伝説を刻んでいる。鳴子の地名由来を伝える唯一の碑である。」とあります。碑には鳴子温泉の名称の由来を記されていて、それによると源義経の正室である北の方が亀割峠(山形県)で亀若丸を出産したものの、亀若丸は全く産声を上げず川原湯温泉を産湯として使用すると始めて産声を上げたことから「啼子」と呼ばれるようになり、それが訛って「鳴子」になったと伝えられています。
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啼子之碑 |
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