行基と野沢温泉

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野沢温泉との関係性

【 行基・伝説 】−伝承によると奈良時代の天平9年(737)に行基菩薩が小菅山を巡錫で訪れた際、偶然源泉を発見し、霊泉である事を悟ると周辺住民にこの事を伝え広く知られるようになったと伝えられています。小菅山とは野沢温泉から程近い所に鎮座する小菅神社の事で、その由来によると役小角が元々祭られていた小菅権現(馬頭観音)の他、熊野大社、金峰神社、白山神社、日吉大社、立山神社、走湯神社、戸隠神社の祭神を境内山腹の石窟に勧請し八所権現と呼ばれ、行基菩薩が小菅神社に参籠した際に、八所権現全ての本地仏を彫刻し加耶吉利堂(カヤキリ堂)を設けて安置したとされます。野沢温泉の行基菩薩伝説は小菅神社の由来を補填するもので興味深いところです。

※−小菅神社は奈良時代以前から既に鎮座していたとされる当地域を代表する古社で、中世は修験道の一大拠点として戸隠神社や飯豊神社など共に宗教上も大きな影響力がありました。戦国時代には特に春日山城の城主上杉謙信と、上杉景勝により庇護され社殿の造営などが行われ、景勝が寄進した小菅神社奥社本殿は国指定重要文化財に指定されています。小菅神社は明治時代の神仏分離令後に急速に衰退しましたが参道沿いには往時の名残が数多く見る事が出来ます。

野沢温泉   野沢温泉

【 行基・実・年表 】−天平9年(737)に和泉国大鳥郡(現在の大阪府堺市)に鶴田池院、大和国添下郡(奈良県奈良市)に頭施院とその尼院を起工しています。

【 場  所 】−長野県下高井郡野沢温泉村

【 概  要 】−野沢温泉には行基の他、修験僧発見説や猟師が傷ついた熊が湯浴びしているのを発見した説があります。平安時代に編纂された「拾遺和歌集」の題材「いぬかひの御湯」に「鳥の子は、まだひなゝがら立ちいでぬ、かひのみゆるは、巣守なりけり。」の和歌が載せられていますが、これは犬養部が住んでいる所に温泉があり、その近くに鷹飼部が住んでいたものとし、犬養部と鷹飼部が近くに住み温泉がある所は野沢温泉以外他は見当たらない事から「野沢温泉」=「犬養湯」という根拠となっています。犬養部は犬を利用し狩猟や守衛を行う部民である事から猟師=マタギ=犬養部と考えると、開湯伝説は猟師熊説が一番有力かも知れません。鎌倉時代に順徳天皇が編纂した「八雲御抄」には朝廷縁の温泉が9箇所記載されていますが、その中でも犬養御湯、名取御湯(現在の宮城県仙台市にある秋保温泉)、信濃御湯(現在の長野県上田市にある別所温泉)の3箇所だけが地名の後に「御」の字が含まれている事から特に朝廷と深い繋がりがあるとして日本三御湯と呼んでいます。江戸時代には飯山藩(長野県飯山市:本城−飯山城)の藩主松平氏がことのほか野沢温泉を愛し、自らの御殿湯を設けた他、温泉街を整備した事で家臣なども別荘を構え一大保養地となりました。松平家が移封になると衰微しましたが、庶民の湯治場として江戸時代後期頃には24棟の温泉宿が軒を連ねていました。

【 行基・周辺・史跡 】−小菅神社(長野県飯山市:上記)・渋温泉(長野県下高井郡山ノ内町:行基開湯伝説)・湯田中温泉(長野県下高井郡山ノ内町:行基開湯伝説)

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行基菩薩縁の温泉

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※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。