鷹の湯温泉との関係性
【 行基・伝説 】−奈良時代に行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際、傷ついていた鷹が湯浴びをし傷口を癒していたのを発見したのが始まりとされ、由来に因み「鷹の湯」と呼ばれるようになったと伝えられています。
【 行基・実・年表 】−鷹の湯温泉の開湯年は不詳ですが湯沢市に隣接する羽後町に境内を構える三輪神社と吉祥院が養老2年(718)に行基菩薩により創建されたとの伝承が残されている事から、この前後と想定。
養老2年(718)に大和国添下郡(奈良県奈良市・大和郡山市・生駒市)に隆福院を起工。養老4年(720)に河内国河内郡(東大阪市・八尾市)に石凝院を起工。
【 場 所 】−秋田県湯沢市秋ノ宮
【 概 要 】−行基菩薩が去ってからの詳細は不詳ですが本格的な温泉場として整備されたのは江戸時代に入ってからで、当時は藁を煮ていた事から煮藁湯の別称がありました。
【 行基・周辺・史跡 】−談山神社(秋田県湯沢市杉沢:行基が日本各地に33体の木造観音菩薩像を彫刻した内の1躯とされ、当初は杉沢山普門寺に安置されていましたが、戦国時代の兵火により廃寺となり、残された観音菩薩像は土中に埋もれ、橋の構造材と再利用された後に談山神社に移されたと伝えられています)・三輪神社(秋田県羽後町杉宮:養老2年:718年、行基が巡錫で当地を訪れた際、霊夢で御告げを受け、大和国一宮である大神神社の分霊を勧請して創建)・三輪山杉林寺吉祥院(秋田県羽後町杉宮:養老2年:718年、行基が三輪神社を創建した際に別当寺院として開山)
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