行基と吉奈温泉

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吉奈温泉との関係性

【 行基・伝説 】−神亀元年(724)、聖武天皇の勅命により全国を巡錫で当地を訪れた際、当地を霊地と悟った行基菩薩は寺院創建の発願を行い、自ら釈迦如来像、薬師如来像、阿弥陀如来像の三尊を彫刻し本尊として安置、地名の吉奈に因み寺号を「善名寺」に定めました。暫く善名寺を拠点として布教活動を行っていましたが、ある夜、霊夢に妙湯権現の化身が立ち、その御告げに従い境内の一角を掘り起こすと、不思議と源泉が湧出たと伝えられています。

善名寺   善名寺

【 行基・実・年表 】−養老5年(721)に菅原寺(現在の喜光寺)を起工。神亀元年(724)、和泉国大鳥郡(大阪府和泉市)に清浄土院(高渚寺)とその尼院を建立。神亀2年(725)、河内国交野郡(大阪府交野市・枚方市)に久修園院を起工。

【 場  所 】−静岡県伊豆市吉奈

【 概  要 】−行基菩薩が創建した善名寺は鎌倉時代の安貞年間(1227〜1228年)に幸賢大徳が再興すると境内には七堂伽藍が建ち並び、当地方を代表する真言宗の寺院として発展し吉奈温泉の名声も高まりましたが、その後は不幸が続き廃寺寸前まで追い込まれました。江戸時代に入ると下田街道が開削され、次第に村人だけでなく旅人や商人も訪れるようになり、徳川家康の側室お万の方が善名寺で子宝祈願を行い吉奈温泉で数日に渡り湯治を行うと見事念願成就し、後の紀州藩(和歌山県和歌山市:本城−和歌山城・徳川御三家)の藩主徳川頼宣と水戸藩(茨城県水戸市:本城−水戸城・徳川御三家)の藩主徳川頼房の子宝に恵まれた事から、お万の方が大檀那となり堂宇の改修が行われ、日頃から信仰していた日蓮宗(当時の法華宗)に改宗されました。吉奈温泉も子宝に功能があると広まり、今まで以上に多くの人が湯治に訪れるようになったとされます。

【 行基・周辺・史跡 】−南禅寺(静岡県賀茂郡河津町:行基菩薩が開いた那蘭陀寺が山崩れにより荒廃し、その後土中に埋もれた仏像が掘り出され南禅寺に安置された)・善名寺(静岡県伊豆市吉奈:行基により創建)・行基の滝(静岡県伊豆市吉奈:当時、魔の淵と呼ばれ村人は近寄らなかった場所を行基が滝供養を行い修行場にしたと伝えられています。)・法眼寺(静岡県賀茂郡西伊豆町仁科:本尊の釈迦如来像、阿弥陀如来像、薬師如来像は伝:行基作)・普照寺(静岡県賀茂郡南伊豆町伊浜:本尊の聖観音像は 伝:行基作)・石室神社(静岡県賀茂郡南伊豆町石廊崎:天平年間に行基が第六天神を祭った)

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行基菩薩縁の温泉

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※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。