行基と作並温泉

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作並温泉との関係性

【 行基・伝説 】−養老5年(721)、行基菩薩が全国を巡錫し当地(宮城県仙台市青葉区作並)を訪れた際、渓谷の谷底から、渓流の音と共に仏法僧の鳴声が木魂し聞こえた為、誘われるように下まで降りて行くと、美しい渓谷美の中で一筋白い煙が棚引いていました。すると、そこから源泉が湧き出し、数羽の仏法僧が湯浴びをして美しい鳴声を発していたので、行基は仏様の御導きを悟り、周辺住民に温泉の湧き出す場所と功能、入浴方法を教え広く知られるようになったと伝えられています。行基菩薩縁の温泉ながら薬師信仰とは結び付いていません。

作並温泉   作並温泉

【 行基・実・年表 】−行基菩薩は養老4年(720)9月15日に河内国河内郡日下村で石凝院(寺)を起工しています(現在は廃寺)。養老5年(721)に寺史乙丸から旧邸宅の寄進され奈良県奈良市菅原町に菅原寺を起工しています。

【 場  所 】−宮城県仙台市青葉区作並

【 概  要 】作並温泉には行基の開湯伝説の他にもう1つあります。鎌倉時代初期の文治5年(1189)に源頼朝が奥州平泉の藤原氏を討伐する奥州合戦の際に当地まで進軍した際、目の前に鳥が居たので打ち落としました。すると、渓谷の下に落ちていったので拾いに降りると、白い煙が立ち込め、傷ついた鷹が湯浴びをしてるのを見つけました。頼朝も一緒に浸かると長旅の疲れが忽ち癒えた事から、家臣達にも勧め英気を養ったと伝えられています。その後、数人の村人だけが知る秘湯でしたが、室町時代から当地に移り住んだ岩松対馬尉藤原信寿の後裔である寿隆(喜惣治)が寛政8年(1796)に仙台藩8代藩主伊達斉村の許可を得て温泉場として整備しました。斉村は作並温泉の由来を聞き及び「鷹乃湯」の名称を授けました。その後は文人墨客が数多く訪れるようになり「仙台の奥座敷」と呼ばれるようになっています。

【 行基・周辺・史跡 】−増上山大願寺(宮城県仙台市青葉区新坂町:本尊の聖観音は伝:行基作)・宝光院観音堂(仙台市青葉区本町:本尊の聖観音は伝:行基作)・仙岳院観音堂(小萩観音:仙台市青葉区東照宮:安置されてる十一面観音像は伝:行基作)。

【 陸奥国分寺 】−陸奥国分寺(宮城県仙台市)の創建等は不詳ですが、陸奥国分寺に伝わる寺伝によると聖武天皇の勅願により行基菩薩が開いたのが始まりとされ、現在の脇侍である日光菩薩像と月光菩薩像は行基が彫刻したものと伝えられています。又、行基が宿所だった家はその後は陸奥国分寺の別当となったそうです。

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行基菩薩縁の温泉

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※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。