玉造温泉(日本三名泉): 玉造要害山城

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玉造要害山城・歴史・観光・見所
玉造要害山城(松江市)概要: 玉造要害山城玉造要害山城は元弘2年(1332)、諏訪部扶重が築いたのが始まりとされます。扶重は主家である富士名義綱に対して謀反を起こし北朝側に組した為、逆に義綱に攻められ玉造要害山城は落城しています。その後、出雲国守護佐々木泰清の7男頼清がこの地を与えられ総地頭を勤め、湯氏と称するようになると、その孫湯秀貞が城を大改修したとされます。その後も代々湯氏の居城だったとされ、天文11年(1542)には湯佐渡守家綱が大内氏に属し忌部まで進出しています。天文20年(1551)に家綱は死去したとされ玉造要害山城に葬られ墓碑が建立されています。玉造要害山城何時頃玉造要害山城が廃城になったのかは不詳ですが、一時毛利家が利用し修復した可能性が高いとされ、その後軍事的な重要性が失われたと思われます。麓に鎮座する湯氏は玉作湯神社とも深い繋がりがあり永禄元年(1558)の軒札には湯菊丸の名が記されています。玉造要害山城は標高108mの半独立丘陵に築かれた山城で、頂上付近に主郭(1の平)を配し、2から4郭が周囲を囲んでいます。要所には土塁、縦土塁、空堀、堀切、井戸、食い違いなどが見られ現在も明瞭に遺構が見られます。
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玉造要害山城
玉造要害山城
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