玉造温泉(日本三名泉): 報恩寺

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報恩寺・歴史・観光・見所
報恩寺(松江市玉造町)概要: 報恩寺の創建は不詳ですが伝承によると平安時代、弘法大師空海によって開かれたのが始まりと伝えられています。往時は出雲国守護である佐々木氏や尼子氏に庇護され寺運が隆盛し、堂塔12を擁する大寺として名を馳せました。江戸時代に入ると、松江城から見ると境内が南西の方角にあたる為、城の裏鬼門鎮護の寺院として歴代城主から庇護されます。特に2代松江藩主堀尾忠氏はマムシに噛まれ玉造温泉に湯治中に死去し一端報恩寺に葬られたとされ、境内の宝篋印塔(総高2.7m)は忠氏の墓碑とも供養塔とも伝えられています(境内には堀尾民部の墓が建立されています。)。本尊の木造十一面観音立像は天文7年(1538)、康運(京都七条の大仏師:運慶の子孫)の作で像高4.26m、欅材、寄木造、長谷寺式、昭和43年(1968)に島根県指定文化財に指定されています。出雲国十三仏霊場、御詠歌「みほとけの 中にすぐれし だいにちの ひかりにもるる ものとてはなし」
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報恩寺
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