台温泉・温泉街

台温泉(岩手県花巻市)は、平安時代初期の大同元年に坂上田村麻呂(征夷大将軍として蝦夷討伐の為に陸奥国に派兵された。)が当地に着陣した際、台温泉に湯治に訪れました。その際、台温泉の守護神である温泉神社に祈願を行うと体に傷ついた体が平癒し力が漲った事に感謝し社殿を造営しました。台温泉の名称の由来には田村麻呂が傷が癒えた事から「体癒(たいゆ)」したとも、アイヌ語で「森林の温泉」という意味が転じたとも言われています。その後、台温泉は荒廃しましたが元中年間に猟師が温泉の湯気を発見し村人に教えると、その噂を聞いた将監を名乗る人物が山の中に入り源泉を発見したそうです。これが記録に残る台温泉の開く湯で、以後、その効能から広く知られるようになりました。江戸時代に入ると盛岡藩(岩手県盛岡市:本城−盛岡城)の知るところとなり藩内では最も早く開発され寛文年間には3代藩主南部重信が現在のさなぶり荘付近に上御仮室を楽知館付近に下御仮室を建設し御殿医である和田玄東を伴い台温泉に湯治に訪れています。当初は7戸のみが許されていましたが天保10年の火災により全焼し、その後は規約が解除されました。盛岡藩では藩内の大湯温泉(秋田県鹿角市)繋温泉(岩手県盛岡市)・鶯宿温泉(岩手県雫石町)・湯田温泉(岩手県西和賀町)・台温泉(岩手県花巻市)の5つの名湯を盛岡藩五湯と呼び、保養地として保護しました。

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台温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
台温泉と花巻温泉の中間に鎮座している羽山神社は、台温泉にも入湯したという坂上田村麻呂が羽山祇命の分霊を羽山の山頂に勧請したのが始まりとされます。羽山(標高:350m)は山容が御椀型で神奈備として古くから人々の信仰の対象になってきた霊山で、地域によって多少内容が異なりますが次のような伝説が残されています(山容の美しさだけでなく、中腹には釜淵の滝や緒ヶ瀬の滝などの景勝地もあり、霊地としての要素が備わっています)。山の神になる事を夢見たのんびり者の長女、しっかり者の2女、ずるがしこい3女の3姉妹がいました。ある日神様が3姉妹に対し、「目覚めた時、胸に蓮華の花を乗せていた娘が一番秀麗な山である早池峰山の神となりなさい。」との告げた後姿を消しました。姉妹は深い眠りにつきましたが、ずるがしこい3女だけは眠らずに薄目を開けて数時間待ち続けると、蓮華の花が長女の胸に舞い降りのを見て、このままだと長女が早池峰山(標高:1917m、北上山地の最高峰で日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山)の山の神になってしまうと危惧し、長女の胸から気付かれないように蓮華の花を奪い取り一目散に早池峰山に向って姿を消しました。その気配を感じた2女は3女に先を越されたと察し、2番目に山姿が美しい羽山に向かい、朝、目を覚ました長女は仕方なく一番姿が醜い胡四王山(岩手県花巻市:胡四王神社)の山の神になったそうです。実際は、山の名称から初期の出羽三山(山形県鶴岡市)信仰の一翼を担った羽山信仰が当地に伝播し、地元に伝わる祖霊信仰と合わさったと思われます。中世以降は神仏習合し別当寺院として専蔵院が祭祀を司ってきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により専蔵院が廃止され羽山神社となっています。例祭で奉納される羽山神楽や春日流湯本鹿踊りなど神仏習合時代の名残が見られます。

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