花巻温泉・温泉街

花巻温泉(岩手県花巻市)は元々源泉はありませんでしたが大正12年、台温泉(岩手県花巻市)から源泉を引き込む事で温泉地が開かれました。昭和に入ると実業家の金田一国士が開発を進め、温泉宿だけでなく動物園、遊戯場、公会堂、ナイタースキー場、プール、テニスコート、別荘など複合的な行楽地として計画されました。さらに花巻の中心地から花巻温泉まで花巻電鉄が結び昭和2年に大阪毎日新聞社と東京日日新聞社が主催した「日本新八景」にも選定されました。宮沢賢治縁の地でもあり大正15年に花巻農学校を退職後は花巻温泉の開発に尽力し「南斜花壇」の設計や「グルス・アン・テブリッツ」の植樹を行いました。戦前の不況により荒廃しましたが昭和31年に賢治縁の「南斜花壇」を再整備し「バラ園」として復活させています。

花巻温泉は、岩手県花巻市(旧花巻町)出身で日本の詩人、童話作家として知られる宮沢賢治縁の地でもあります。宮沢賢治が稗貫農学校(現在の岩手県立花巻農業高等学校の前身、跡地は現在総合花巻病院)の教師時代)の教師時代に、フィールドワークとして花巻温泉の直下を流れる「台川」やその上流にある「釜淵の滝」に生徒を連れて度々訪れ野外授業や地形、地質の調査を行っています。宮沢賢治の作品の1つ「台川」でも台川や釜淵の滝がその舞台の1つとして描かれています。釜淵の滝は「イーハトーブの風景地」の名称で国指定名勝に指定されています。

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歴史、つぶやき、独り言
金田一国士は明治時代から昭和初期にかけて岩手県の政財界で巨大な権勢を誇った人物で、当時の金田一財閥は県内の主要企業35社を手掛け商業関係の役職を独占、数多くの大規模開発や鉄道誘致なども積極的に行いました。このような中で開発されたのが花巻温泉で、まさに金田一財閥が行った開発中でも象徴的な存在でした。しかし、関係会社が多くなると情実融資が問題化、さらに焦げ付きが多くなり青森県の銀行の倒産に連座して盛岡銀行も倒産になると多くの財を失いました。権力が失墜すると嵩にかけるように告訴が続き、遂には有罪者となり実刑を受ける事となりさらなる信用を失いました。花巻温泉は金田一国士の夢の跡とも言える存在なのかも知れません。

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