小野川温泉・温泉街

小野川温泉(山形県米沢市)の歴史は古く、一説には平安時代に小野小町が出羽国にいる父親の元に帰郷する途中、この地で大病を患い逗留する事になったそうです。すると小町が偶然見つけた温泉に浸かるとみるみる病気が快方に向かい、僅か3週間で元の元気な体に戻ったと伝えられています。又、米沢城(山形県米沢市)の城下にも程近い距離にあった事から米沢の奥座敷として米沢十湯(白布温泉・新高湯温泉・大平温泉・姥湯温泉・滑川温泉・五色温泉・栗子温泉・笠松温泉・湯の沢温泉・小野川温泉)の一つに数えられ伊達政宗も米沢城の城主時代に湯治に訪れています。江戸時代に入ると温泉の成分から製塩産業が盛んになり、特に米沢藩9代藩主上杉鷹山は仙台から製塩業者を呼び寄せ技術を学ばせたと伝えられています。小野川温泉には製塩場や小町縁の「小町休み石」や「薬師如来尊堂」などが残されています。温泉街を見下ろせる高台には小町の居館が設けられたと伝わる平場があり、その一段下には置賜三十三観音霊場第21番札所に選定されている小野川観音堂が建立されています。温泉街は歴史ある温泉宿が点在し落ち着いた町並みが残されています。
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小野川温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
小野川温泉は小野小町により発見されたという伝説が残っている温泉地として知られています。瀬見温泉でも触れましたが、小野小町の死没地は全国的で数多くあり、それに伴い多くの墓碑が存在します。一般的には小町は出羽郡司・小野良真の娘とされ、小野良真は小野篁の子供とされ、歴史的に明確なのは篁だけで、篁は延暦21年(802)に生まれ仁寿2年(853)に死去している事から、小町が小野川温泉を承和3年(836)に発見したという事は相当無理があります。私のような素人でも少し調べると分かるのですが、基本的に町づくりを行っている地域は、歴史的事実を掘り下げる場合と、掘り下げない場合があり、掘り下げない場合は空気的に事実が知られない方が有利な場合が多いようです。地元の歴史の専門家が青筋を立て歴史的事実と異なるなどと騒ぎ立てるという例は、私が知るところではなく、だれが格付けしたのはわかりませんが世界三大美人である小町が発見した小野川温泉は美人の湯だと宣伝した方が町づくりに有利で誰も傷つく事が無いという事になります。では、何故、小野小町の史跡が全国的に点在するのか?正確な事は誰にも分かりませんが、1つの説としては薬師信仰を広げる為に、その信仰団体に所属する僧侶達が全国に巡錫し民衆に薬師信仰を教える際に小野小町の話を作り出し広めたのとも言われています。小町の伝承の多くが疱瘡や眼病、重病に罹り、薬師如来に平癒を祈願すると念願成就して元の美人に戻ったという内容が以上に多い事がわかります。そして、小野川温泉ように源泉や、井戸、清水など水に関わる場所が多く、薬師如来の御告げに従い、目を洗ったり、飲んだり、浸かったりすると病気が治るという教えになっています。さらに、小町の伝承地の多くに薬師如来を祭る薬師堂が建立され、小野川温泉には薬師如来尊堂が建てられています。
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