玉造温泉(日本三名泉): 玉作湯神社

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玉作湯神社・歴史・観光・見所
玉作湯神社(松江市)概要: 玉作湯神社の創建は不詳ですが天平5年(733)に編纂された出雲国風土記に玉作湯社との記述があり、延喜元年(901)に編纂された日本三代実録には貞観13年(861)に従四位下、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には式内社玉作湯神社として記載されていました。玉作湯神社境内全域は日本最古の玉造遺跡とされ、瓊瓊杵尊の降臨に従った五部神(天児屋命・太玉命・天鈿女命・石凝姥命・玉祖命)の1人とされる櫛明玉命(玉祖命、豊玉神、天明玉命と同義とされ玉造部の祖と云われています。天照大神が天岩戸に隠れてしまった際には八尺瓊勾玉を作りました。)一族の子孫がこの地で玉造を行い朝廷に献上しました。又、出雲国風土記に記載されていた川辺の出湯(現在の玉作温泉)と近接していることから、祭神として玉造りの祖神である櫛明玉命と医療の神である 大名持命(大国主命)、温泉の神である少彦名命が祭られています。中世に入ると、玉作湯神社境内背後に築かれた玉造要害山城の城主、湯氏から崇敬庇護され軒札や古文書などに度々湯氏の名が登場しています。江戸時代に入ると、玉作温泉が松江藩の湯治場として整備され、藩主の御茶屋が設けられるなど、度々藩主が湯治に訪れており、玉作湯神社も崇敬の対象になっていたと思われます。明治時代に入り村社、昭和3年(1928)に県社に列しました。境内にある「願い石」は案内板によると「 はるか昔から、玉(まがたま・菅玉・丸玉)の祖神の御神石として大切に祀られてきましたこの自然石が『願い石』です。人々はこの不思議な力を宿す『願い石』にそっと触れ、願掛けをし、時には玉を納め、守り神として信仰してきました。今でも全国各地から願いが叶うと多くの方々が参拝になっています。」とあります。境内一帯は日本最古の玉作り遺跡として大変貴重な事から大正11年(1922)に国指定史跡に、発掘された上代各種玉類、上代玉磨砥、上代ガラス製造ルツボ片等が国指定重要文化財にそれぞれ指定されています。
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玉作湯神社の文化財
 ・ 玉作湯神社境内一帯−日本最古の玉作り遺跡−国指定史跡
 ・ 上代各種玉類(184点)−国指定重要文化財
 ・ 上代玉磨砥(162点)−国指定重要文化財
 ・ 上代ガラス製造ルツボ片と上代ガラス一括−国指定重要文化財

玉作湯神社
玉作湯神社
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