肘折温泉・温泉街

肘折温泉は出羽三山(山形県鶴岡市)と葉山(往時は出羽三山の一翼を担った)という霊山に囲まれた温泉地で、月山(標高1984m、日本百名、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山)への登山口があった事から、肘折温泉の湯治客だけでなく出羽三山の修験僧や登拝客などで発展しました。月山の山頂に鎮座する月山神社は推古天皇元年(593)に蜂子皇子(崇峻天皇の第3皇子)により創建された古社で、当時の出羽国(現在の秋田県、山形県)の中では格式の高い神社として認識され、平安時代に成立した日本三代実録によると貞観6年(864)に従三位、貞観18年(876)に正三位、元慶4年(880)に従二位に列し、延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には名神大社として記載されました。月山神社が神仏習合すると、月山は修験道の修行場として発展し、歴代領主や為政者から信仰の対象となり江戸時代には松尾芭蕉も登拝しています。

肘折温泉の歴史は古く、室町時代に出羽三山巡錫で訪れた源翁和尚が洞窟(地蔵倉)に住む地蔵様に出会い、「肘を折っても、たちまち治る温泉がある」と告げられ発見したとも、源翁和尚が老僧の姿をした観音様から教えを請うたとも、、地蔵様の化身と思われる小僧から温泉に導かれたなどと云われています(由来では大同2年:807年となっていましたが源翁和尚は室町時代の高僧です)。肘折温泉の名称の由来も幾つかあって上記の伝説での「肘が治る温泉」の他にも「銅山川が肘を曲げたように屈曲している」、「聖(弘法大師空海)が開いた温泉」、「日出(ひじ)の村の人が開いた温泉」などがあります。肘折温泉は現在でも細い道路に密着して温泉旅館や温泉宿が建てられ、温泉街としても雰囲気があり、湯治客目当てに立てられる朝市など見所があります。又、温泉街から山中に入ると肘折温泉の由来となった地蔵倉が境内を構えています。

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肘折温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
江戸時代中期以降、一般庶民にも行楽嗜好が高まると、娯楽が少なかった当時は物見遊山が大きな楽しみとなりました。とは言え、江戸時代には各藩の領地に入るには関所や番所を通らなければならず、それにはもっともらしい理由が必要でした。その理由付けの1つが伊勢神宮や善光寺など有名な神社や寺院に参拝する事で、それらを名目として実際は目的地に行くまでの街道沿いの名所巡りや名物、名産を堪能しました。そこには多額な費用がかかる事から、集落全体で毎月積み立てをして、数年に1度集まったお金を使い代表者数人が代わる代わる参拝に出かけました。彼らは当然自分達の土地以外を余り知らない事から、神社であれば御師、寺院であれば先達と呼ばれる人が目的地までの道案内や宿泊の案内を行いました。彼らは社寺に所属し、布教を広げると共に多くの参拝者を募り、参拝者達が社寺への奉納や寄進、門前町にお金を落とさせる事が大きな使命となりました。出羽三山でも多くの先達がいて自ら所属する坊に参拝者を利用させる為に全国規模で活躍しました。月山の登拝口は「八方七口」と呼ばれ基本的には六十里越街道沿いに設けられた岩根沢口、本道寺口、大井沢口、七五三掛口、大網口の5口で、残り2つが羽黒口と肘折口となっています。肘折口が開かれたのは南朝暦元中7年・北朝暦康応2年(1390)、江戸時代中期には2週間で1万2千人以上が肘折口を利用したとされ、肘折温泉は湯治場である共に、登拝者の身を清める禊の場としても機能し大いに栄えました。現在も温泉街として雰囲気の良い町並みが残されて、朝は早くから朝市が立ち観光の目玉にもなっています。
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