湯西川温泉・温泉街

湯西川温泉(日光市)の発見には諸説あり寿永4年、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れた平家一門の平忠房が湯西川まで落ち延びた際、源泉を発見し源平合戦で受けた傷を癒したとも、天正元年忠房の後裔とされる伴対馬守が冬の大雪の後、雪の積もっていない不思議な場所を見つけ、よく見ると温泉が湧き出きて付近から平家縁の甲冑や刀剣などが発見されたと伝えられています。以来、伴家は湯西川温泉の湯守となり寛文6年には湯屋を開き温泉の整備発展に尽力しています。湯西川温泉には平家縁の甲冑や刀剣などを土中に埋めたとされる平家塚や、菩提寺とされる慈光寺などの史跡が点在している他、現在でも落ち延びる際源氏の追っ手から発見される原因となった大きな鳴き声の鶏や米のとぎ汁、昇り旗、焚き火などには細心の注意が払われています。
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湯西川温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
全国に平家や平氏の落人伝説が伝わる場所が300箇所以上に上るとされ、湯西川温泉はかなり著名な方と思われます。上記のように、湯西川温泉では平忠房が大きく関わっているというのが伝説の中心となっています。一般的には平忠房は平清盛の嫡男である平重盛の6男(又は5男)で文治元年(1185)に屋島の戦いで源氏軍に敗れると、密かに紀伊国(現在の和歌山県)に渡り湯浅城(有田郡湯浅町青木)の城主、湯浅宗重と共に平家の残党を募り湯浅城に籠城し源氏に対して反旗を挙げます。それを知った源頼朝は熊野湛増に命じて湯浅城を攻めさせますが、3ヶ月間8度に渡る総攻撃にも耐え抜いた為、鎌倉方から和睦するとの通達を城方に出し、それを信じた忠房は開城します。忠房は鎌倉に入り形式的には許されますが、頼朝に京都に上るように命じられ、京に上る途中に頼朝に放たれた刺客により斬首されたそうです。どちらが史実かは分かりませんが興味深い話です。

湯西川温泉の鎮守である湯殿山神社は、名前通り出羽三山の一翼を担い出羽三山の奥之院とされる湯殿山神社(山形県鶴岡市)の祭神である大山祇神、大己貴命、少彦名命の三柱を勧請した神社です。本社となる湯殿山神社の御神体からは温泉が湧き出て、祭神の大己貴命と少彦名命は湯神や温泉神とも言われる事から、湯西川温泉に携わる人々は湯殿山神社詣でを何度となく行い信仰の対象にしていたようです。湯西川温泉の湯殿山神社の境内の形態も、本社の湯殿山神社の御神体を模したとも云われ信仰の篤さが窺えます。

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