岩室温泉・温泉街

岩室温泉(新潟市)の開湯は正徳3年、傷ついた雁が湯浴び後回復し飛び立ったところを発見したとも、岩室宿の庄屋7代目高島屋が霊夢により御告げがあったとも言われています。古くから「霊雁の湯」と呼ばれ親しまれてきました。この地は北陸道は参勤交代には利用されていませんでしたが岩室温泉は弥彦神社(越後国一之宮)を控えていることもあり多くの参拝客が利用した言われ、明治11年の明治天皇の北陸巡幸の際には老舗温泉である高島屋で御小休されています。特に岩室温泉は湯女と岩室甚句で広く知られた存在で現在でも比較的歓楽的な雰囲気で芸者さんも多数いるそうです。岩室温泉は昭和38年に厚生省告示第203号により国民保養温泉地に指定されています。

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岩室温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
岩室温泉は湯治場である共に北陸街道(北国街道)の宿場町でもあり多くの旅人や商人が利用しました。特に江戸時代中期以降、一般庶民も行楽嗜好が高まると弥彦神社の参拝者が急増し、それに伴い岩室温泉の利用客も増えました。古くから「湯のこし」という地名があった事から源泉としては知られていたようですが正徳3年(1713)に庄屋である高島庄右衛門家によって本格的に温泉街として整備され、享保元年(1716)には芝居の興行や遊女茶屋が出るなど盛況を極めました。当時の庶民は理由無く領内を出入りするのが禁じられていましたが、有名な神社仏閣の参拝が目的だった場合はそれが認められていた為、参拝を理由に多くの人々が旅するようになりました。しかし、現実的には参拝よりも物見遊山が主目的となる場合が多く、本来の目的地である神社仏閣の門前町や参拝道沿いにある宿場町には盛り場のように遊女や飯盛女といった女性を囲い営業する旅籠が数多く存在しました。又、「精進落とし」という男性にとっては都合の良い風習が流布し、要するに家から目的となる神社仏閣に参拝するまでは修行であるから女性を絶ち、参拝を終えると修行を終えた事から女性を求めてても良いと解釈し、多くの男性が「精進落とし」として門前町や宿場町、遊郭に囲われた遊女を買春しました(当時は風習として一般化されていた事で決して違法な行為ややましい行為として捉えられていませんでした)。岩室温泉も弥彦神社の参拝者の精進落としの遊里だったとされ、新潟の芸妓発祥の地としても知られるようになったそうです。

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