湯野上温泉・温泉街

湯野上温泉(福島県福島市)の開湯は不詳ですが、伝承によると天平の昔、縄張り争いで傷ついたボス猿が湯浴びをし小猿が看病している姿を村人が発見したのが始まりと伝えられています。その後上記の猿湯の他、切湯、西大川の渚の湯が発見され主に村人達に利用され湯ノ腹村と呼ばれていました。湯野上温泉の温泉宿としては明治20年に清水屋が開かれたのが始まりとされ明治18年に国道121号線の開通が大きな原因となっています。

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湯野上温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
湯野上温泉が本格的に温泉街と整備されたはじめたのは明治20年ですが、天和3年(1683)の日光大地震により会津藩の主要街道である会津西街道(下野街道)が壊滅的な被害を受け新たに会津中街道(松川街道)が開削されました。湯野上温泉があった集落が宿場町だった訳ではありませんが、元禄9年(1696)には会津藩3代藩主松平正容、村松藩3代藩主堀直利、元禄10年(1697)には松平正容、元禄11年(1698)には堀直利が参勤交代で利用し、当時は会津城下と江戸との間を最短距離で結んだ為、多くの往来がありました。しかし、江戸時代中期になると参勤交代の経路が白河街道に変更になり、会津西街道が再整備されると次第に脇街道的な存在となりました。明治18年に国道121号線の開通すると、今度は会津西街道が廃れ、近代化出来なかった大内宿は当時の宿場町がそっくり残される結果となりました。湯野上温泉駅はその大内宿最寄の駅として全国的にも珍しい茅葺屋根の駅舎で建てられました。

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