小安峡温泉・温泉街
小安峡温泉(秋田県湯沢市)の開湯伝説は2説あり、1説は片脚を怪我をした1羽の鶴が湯浴びして傷を癒しているのを山賊が見つけ、10日後に治癒して飛び立った姿を見て不思議と思い、自分も浸かってみると、温かい温泉だったと伝えられています。もう1説は足を怪我していた麋(カモシカ)が湯浴びをし傷を癒している姿を樵(キコリ)が見つけ、不思議と思い、近くによってみると源泉が懇々と湧き出しているを発見したとも云われています。その後はマタギ(猟師)など極一部の人達だけが利用していましたが、江戸時代に入り、羽州街道の十文字(秋田県横手市)と奥州街道の築館宿(宮城県栗原市)を結ぶ小安街道が開削されると温泉地として注視されるようになり承応2年(1652)に久蔵と呼ばれる農民が本格的な温泉地として開発に尽力しています。小安峡温泉の功能が地元で広がると寛文元年(1661)に院内銀山(秋田県湯沢市院内)の開発に尽力した久保田藩の家老海津主馬も銀山の視察の際に湯治に訪れ、温泉の守護神となる薬師堂を造営し、湯守として湯左衛門を任命しています。一方、小安の地は久保田藩と仙台藩の藩境に近かった事から延宝3年(1675)には地元の有力者である小安惣兵衛が関所定番に就任し、天和元年(1681)には小安番所が設置され藩の役人が派遣され人物改めや荷物改めが厳重に行われました。小安峡温泉は湯治場である共に、宿場町、物資の集積地、中継地でもあった為、商人の往来も多く豪商などは湯宿に芸者などを上げ派手に遊んだとの記録も残されており重要視されていた事が窺えます。文化8年(1811)には当地域の巡視を行った久保田藩第9代藩主佐竹義和が約300名の家臣を引き連れて湯治に訪れ、宝永4年(1707)には湯沢所預である佐竹南家の奥方が110人の御供を伴い利用するなど身分の高い人物にも知られた存在で、江戸時代の紀行家として知られる菅江真澄も小安峡温泉を訪れた事があり、湯宿が14軒あった事などを記載しています。現在は小安峡から自噴する大噴湯が見所で特に秋の紅葉の時期には多くの観光客が訪れています。
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