天童温泉自体は明治時代に開湯した温泉なので、大きな歴史はありませんが、町自体は戦国時代に最上家と争った天童氏の旧跡や江戸時代後期から天童藩の藩主となった織田家の旧跡などが点在しています。織田家の評価は人それぞれですが、天下統一目前までいって最終的に2万石程度に没落したとも、多くの大名家が取り潰されてる中、よく明治維新まで残ったともいえます。実際戦国時代の主従関係や同盟関係は長続きしなく、勝ち馬にのって家名と領地を守る事が大事であり、より有利な方に与する事で安泰を図っていました。教科書ではよく、織田信長の跡を継いだ豊臣秀吉が天下統一を果たした・・・・。と記されている場合が多いですが、跡を継いだというより、織田家を乗っ取った、又は奪い取ったと、表現した方が正しく、織田家の旧臣の多くも織田家を見限り豊臣秀吉に味方し大きく版図を広げる結果となりました。天童藩織田家は、信長の2男織田信雄の家系で、本来織田家を継ぐはずでしたが、秀吉の画策により排斥され、さらに対立した事で100万石の領主から改易となり、その後許されるも5万石程度に留まっています。その後裔は紆余曲折を経て天童藩に配され、戊辰戦争の際も小藩故に戦乱に巻き込まれ、結果的に大きな犠牲を出しています。又、天童温泉の温泉街からは少し離れますが、最上三十三観音の第一番札所に選定されている若松寺(若松観音)があり、縁結びのご利益があるとして信仰を集めています。
|