日本三御湯(秋保温泉・別所温泉・野沢温泉・いわき湯本温泉)

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日本三御湯・概要

日本三御湯・概要: 日本三御湯とは順徳天皇(1197〜1242)が編纂した「八雲御抄(国指定重要文化財)」の中で取り上げられた温泉9湯の中で名取湯(現在の秋保温泉:宮城県仙台市)、信濃湯(現在の別所温泉:長野県上田市)、犬養湯(現在の野沢温泉:長野県野沢温泉村)※犬養湯では無く三函湯(現在のいわき湯本温泉:福島県いわき市)の3湯だけが湯の前に「御」字が付けられた事に由来します。「御」という文字は勅撰を意味する為、順徳天皇自らこの3温泉が選ばれたという事で大変名誉だったと思われます。選ばれた理由は解りませんが、名取「御」湯(秋保温泉)は欽明天皇が疱瘡に罹った際、当霊泉を都まで運ばせ入浴するとたちまち平癒し、「覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆ(名取の御湯)けば跡はかもなし」の歌を詠った事で知られ、別所温泉は七久里(ななくり)の湯として歌枕に数多く登場してきています。七久里の湯とは清少納言が編纂した「枕草子」で「湯は七栗の湯、有馬の湯、玉造の湯」と記載している事で知られ、一般的な説では榊原温泉(三重県津市)とされます。しかし、「八雲御抄」では七久里の湯と信濃御湯(別所温泉)は同義として扱っています。犬養御湯の選定理由は良く解らず、江戸時代に入り飯山藩の温泉保養所として発展したことが強調されています。いわき湯本温泉は守護神である温泉神社が延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載している式内社である事から、少なくともこれ以前が温泉が存在しているが明らかです。又、明確に温泉神社として記載されている式内社はいわき湯本温泉の他、鳴子温泉の守護神と、那須温泉の守護神の3社である事から「日本三古湯」を自称しています。ただし、温泉の神と思われる神社は温泉石神社(川渡温泉)、湯泉神社(有馬温泉)、御湯神社(岩井温泉)、玉作湯神社(玉造温泉)、湯神社(道後温泉)とあり何れも古湯とされています。又、いわき湯本温泉は平安時代後期に編纂された「拾遺和歌集」や鎌倉時代後期に編纂された「夫木和歌抄」にも記載されており広く存在が知られていたと思われます。

日本三御湯・一覧

秋保温泉
秋保温泉:宮城県仙台市秋保温泉の開湯が何時頃かは不詳ですが古墳時代には既に広く知られた存在で欽明天皇が皮膚病を患った為、秋保温泉の源泉を都まで運ばせ治療を行い平癒した事が古文書に記載されています。当時は「名取の御湯」と呼ばれ、歌枕の地としても知られ「拾遺集」や「大和物語」などにも度々詠われています。
別所温泉
別所温泉:長野県上田市別所温泉の開湯伝説は日本武尊(神話で登場する景行天皇の皇子)が東夷東征で当地の近くに着陣した際に発見したと伝えられています。鎌倉時代に入ると塩田平を本拠とした塩田北条氏による開発が顕著となり安楽寺や北向観音(常楽寺)などの社寺が整備され一層知られる存在となりました。
野沢温泉
野沢温泉:長野県野沢温泉の開湯は伝承によると行基菩薩(奈良時代の高僧)が発見したとも、修行僧が修行の最中に発見したとも、「マタギ」が熊を鉄砲で撃ち、その熊が源泉で湯浴びをするの発見したとも云われています。江戸時代に入ると飯山藩の藩主松平氏が野沢温泉に別荘を建て温泉街を開発しました。
いわき湯本温泉
いわき湯本温泉:福島県いわき市伝承によると奈良時代に重症の鶴が源泉の前に倒れていた為、たまたまそれを見た老夫婦が不憫に思い、源泉で傷を洗い流し看病したところ数日後には傷も癒えて元気に飛び去りました。その日の夜、霊夢に温泉神の化身が出現し、温泉場を開き人々を救うようにと告げられたと伝えられています。

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