蔵王温泉・温泉街

蔵王温泉(山形市)の歴史は古く、景行天皇40年(110)に日本武尊(日本書紀や古事記などで登場する伝説的な英雄、景行天皇の勅命により東国を平定したとされます。)による東夷征伐に従った吉備多賀由(副将の吉備武彦と推察されます。)が戦に敗れ毒矢により負傷します。多賀由の家臣は平癒を祈願すると不思議と根元から温泉が湧き出た為、霊泉で湯浴びを行うと忽ち毒素が消え元の体に戻ったと伝えられています。この伝説から、多賀由温泉と呼ばれるようになり、標高が高い場所にあることから何時しか最上高湯温泉と呼ばれるようになったとされます。蔵王温泉周辺は蔵王山を御神体とする修験の盛んだった所で湯治客だけでなく修験者も利用した事で、広く知られるようになり、白布高湯信夫高湯と共に奥州三高湯に数えられました(三高湯全て入湯すると健康長寿が約束されると云われています)。歴代領主である斯波兼頼(最上家の祖)や最上義光(関ヶ原の戦いで、上杉軍と交戦した功により山形藩57万石の大大名となった)、上山市出身の作家斎藤茂吉などの文人墨客が数多く利用し、往時は遊女や湯女など数多く存在し享楽地的な温泉街を形成しました。蔵王温泉ぼ源泉は数多くあり泉質が特徴は強酸性で特に皮膚病や美肌、胃腸に効くことから女性や子供には好まれるとされます。昭和25年(1950)、蔵王山が新日本観光地百選の山岳の部で第1位となり、高湯温泉から蔵王温泉に改称しています。現在の蔵王温泉の温泉街には享楽地的な雰囲気は余り感じませんが、信仰の中心となった酢川神社の参道に繋がる主要道には共同温泉や店舗なども構えており往時の名残が見られます。又、温泉街の隣には国際的なスキー場である山形蔵王温泉スキー場がある為、冬場はスキー客も数多く利用しています。

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蔵王温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
蔵王山は古くからの広く知られていた霊山で、度重なる火山活動から古代から自然崇拝的の対象になってきたと思われます。蔵王連邦の一翼を担った刈田嶺の山頂には刈田嶺神社が鎮座し、特に宮城県側に里宮や、同名の社号を掲げる神社が点在している事から宮城県側の方が信仰が篤かったと思われます。これは江戸時代に仙台藩の藩庁と藩主居館が置かれた仙台城(宮城県仙台市)から見ると蔵王が南西の方角にあたる為、仙台城の裏鬼門を司る霊山として篤く保護した為で社殿の造営や社領の寄進が行われています。山形県側は熊野信仰の習合し瀧山、酢川神社、熊野神社(蔵王山神社)が熊野三山に例えられ信仰を広げました。蔵王温泉の鎮守社で守護神だった酢川神社も蔵王信仰の一翼を担っていた神社で、社殿自体は新しいものでが境内は歴史が感じら温泉街も門前町だったのかも知れません。

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