浅間温泉・温泉街

浅間温泉(長野県松本市)の開湯は不詳ですが、5世紀末には桜ヶ丘古墳が築かれ、当時の浅間温泉には渡来人又は朝鮮と関係が深い豪族が支配していたと推定されています。記録的には日本書紀で白鳳14年に天武天皇が「信濃に遣わして行官を造らしむ。蓋し束間の温湯に幸せんと擬すか」と記されており、この「束間の温湯」は「筑摩の湯」と同義で、「筑摩の湯」は「浅間温泉」のことではないかと推定されています。又、万葉集にも「浅葉の里」、「麻葉の湯」が散見され浅間温泉の古称だったと思われます。一般的な浅間温泉の由来は天慶2年、当時この地を支配した犬飼半左衛門が源泉を発見したとされ「犬飼の湯」と呼ばれたそうで少なくとも平安時代にはその存在が知られていたと思われます。現在の浅間温泉の鎮守である御射神社は文治2年に編纂された吾妻鏡に浅間社として記されている事から浅間の地名は鎌倉時代には定着していたと思われます。江戸時代に入と松本城の城主となった石川数正が浅間温泉に別荘である「御殿湯」を設けた事で家臣達も同様に別荘を設けて温泉街として形成され「松本の奥座敷」と呼ばれるようになっています。
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浅間温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
「束間の温湯」については別所温泉のページで多少思っている事を書きましたので、浅間温泉のページでは「犬飼」について書きたいと思います。古代の役職に犬を司る犬養部という役職があり、諸説ありますが、国の地方への出先機関である屯倉(みやけ)を犬を使った守護、守備を行ったという説があります。当時、信濃国の国府又は国衙が筑摩郡にあったとされる為、犬養部を同地に配置され、その後裔が土着、土豪化して犬飼氏を称するようになったと考えられています。地名も犬養部に因み信濃国筑摩郡辛犬郷(現在の松本市付近)と呼ばれ、当初は渡来系の氏族が辛犬甘氏を称して、犬を食す慣習もあったそうで、犬飼半左衛門の代の天慶2年(939)に浅間温泉を発見し、「犬飼の湯」と呼ばれるようになりました。その後は犬甘氏に改称したようで地方官僚として長く当地に留まり、中世に入り朝廷の衰微によって国府、国衙が事実上機能しなくなると、土豪として直接的な支配者として成長しました。室町時代に入り小笠原氏が信濃国の守護になると、その配下として従属し、戦国時代には家老職を担うまでになっています(江戸時代には当地を離れましたが、小笠原氏に従い代々家老職を歴任しています)。又、日本三御湯に数えられた犬飼湯とは野沢温泉の事とされ、やはり野沢温泉村周辺には犬飼の地名が残っているそうです。
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