秋保温泉・温泉街

秋保温泉(宮城県仙台市)の開湯は不詳ですが、伝説によると湯神の化身と思われる小さな女の子が塩を積んだ牛と共に磊々峡に落ち為、村人が必死に探したものの女の子は見つからず、変わりに塩分を多量に含んだ霊泉を発見したと伝えられています。鎌倉時代には順徳天皇(第84代天皇・在位:承元4年:1210年〜承久3年:1221年)によって編纂された「八雲御抄」に名取御湯として信濃御湯犬養御湯と共に日本三御湯に数えられました。「八雲御抄」には「あしかりのゆ」、「なヽくりのいでゆ」、「ありまのいでゆ」、「しなのヽみゆ(なヽくり同所也)」、「いよのゆ」、「なすのゆ」、「なとりのみゆ」、「つかまのゆ」、「いぬかひのみゆ」、以上9箇所の温泉地が記載され日本の名湯として紹介されていますが「しなのヽみゆ(なヽくり同所也)」、「なとりのみゆ」、「いぬかひのみゆ」の3箇所の温泉地だけは「み=御」の字が入れられている事から「日本三御湯」の由来となっています。又、平安時代後期に編纂された「大和物語」や寛弘3年(1006)頃に編纂された「拾遺和歌集」にも「名取の御湯=なとりのみゆ」の記述が見られ、当時から名湯として知られ、歌枕になっていた事が窺えます。中世に入ると平家落人の平基盛(平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の次男)の従者7人の1人佐藤家が秋保に土着し長く秋保温泉の湯守として維持管理を担い、江戸時代に入っても引き続き佐藤家が仙台藩主伊達家の信任を得ました。藩主や秋保近辺に遊興や視察に訪れると決まって佐藤家に宿泊し御殿湯とも呼ばれました(基本的に仙台藩主伊達家の御殿湯は東鳴子温泉青根温泉の2箇所とされます)。その後、岩沼屋、水戸屋が開業し江戸時代後期には5軒の湯宿がありましたが安政2年(1855)、東北地方南部で発生した大地震によって源泉も枯渇、当時の湯守佐藤寿右エ門は現在の山形県鶴岡市にある湯殿山神社に参拝し秋保温泉の守護神である湯神社の社殿を再建するとその霊験により源泉が復活したとされます。秋保温泉の温泉街は大型の温泉旅館が建ち並び、古くからの温泉街といった印象はありませんが、湯神社の境内に建立されている「名取御湯碑」を見ると感慨深いものがあります。
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秋保温泉・温泉街
歴史、つぶやき、独り言
秋保温泉は鳴子温泉(宮城県大崎市)飯坂温泉(福島県福島市)と共に奥州三名湯として古くから知られてきました。又、何を根拠にしているのかは分かりませんが有馬温泉(兵庫県神戸市)と道後温泉(愛媛県松山市)と共に日本三名湯にも数えられているようです。少し調べてみると舒明天皇は631年に有馬温泉に82日間にわたる行幸を行った事が「日本書紀」に記載され、さらに、伊予の湯の宮(道後温泉)には639年12月14日から640年4月16日まで約5カ月間行幸に及んでいます。これと、欽明天皇が疱瘡に罹った際、秋保温泉の源泉を都まで運ばせ平癒した事が混同され有馬温泉と道後温泉、秋保温泉が欽明天皇又は舒明天皇に関わりの深い温泉として日本三名湯としたのかもと自説を立ててみました。まったく違うかも知れませんが。
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