日本三名泉:草津温泉・曇英恵応(大光宗猷禅師)

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草津温泉・偉人・歴史・由来
曇英恵応(大光宗猷禅師)・概要: 曇英恵応は俗姓藤原氏、大光宗猷禅師と呼ばれた室町時代の曹洞宗の高僧で応永31年(1424)に京都で生まれました。6歳の時に円覚寺(神奈川県鎌倉市:臨済宗大本山)の塔頭の続灯庵、その後、相国寺(京都府京都市上京区:臨済宗相国寺派)、足利学校(栃木県足利市:中世の高等教育機関、関東地方の最高学府)で学びました。今までは臨済宗を学んでいましたが宝徳2年(1450)に慈眼寺(福井県南条郡南越前町:曹洞宗)の天叟祖寅に師事し曹洞宗に改宗しました。5年間の修行の後は大寧寺(山口県長門市深川湯本:曹洞宗)の竹居正猷、龍文寺(山口県周南市長穂門前:曹洞宗)の器之為[ハン]禅師、永澤寺(兵庫県三田市永沢寺:曹洞宗)で学びました。その後、一州正伊(月江正文の直弟子)に師事し、一州が文安から宝徳年間(1444〜1452年)に長尾景仲に招かれ雙林寺(群馬県渋川市)を開いた際は創建に尽力し、文明4年(1472)に一州が最乗寺(神奈川県南足柄市大雄町:曹洞宗)の住職に抜擢されると随行し、長享元年(1487)一州の死去に伴い法を嗣いでいます。明応6年(1497)には越後守護代長尾能景が父親の17回忌追善供養のため召還され林泉寺(新潟県上越市・山形県米沢市)を開山、文亀元年(1501)には鷹留城の初代城主長野尚業に召還され長年寺(群馬県高崎市下室田町)を開山しています。大庵須益、為宗仲心らの推挙により永平寺の住職に就任した(正式には永平寺の住職には認められていないようです)。

曇英恵応(大光宗猷禅師)が草津温泉(日本三名泉)を湯治に訪れたのは延徳2年(1490)、その時偶然、長尾為景長野業尚と出会い、そこで為景が業尚に対して曇英恵応の帰依を進め、この縁で長野家の菩提寺である室田山長年寺の創建に至ったそうです。ここで問題なのは、長尾為景の年齢で生年月日は不詳ですが、一番有力な説が延徳元年(1489)なので、この説が正しければ為景は僅か1歳で草津温泉に訪れた事になります。別説の文明3年(1471)の方が正しければ、草津温泉には19歳の時なので矛盾が無くなりますが、これが正しければ為景の父親である長尾能景が寛政5年(1465)に生まれている事から能景が6歳の時に為景が生まれた事になります。この事から上記の3人が草津温泉で出会った事はあくまで伝説、伝承の類で事実とは異なる可能性があります。逆に考えると、草津温泉に訪れたのは長尾為景ではなく、父親の長尾能景だったら一番納得しやすく、事実、能景が明応6年(1497)に曇英恵応(大光宗猷禅師)を招いて長尾家の菩提寺である林泉寺を創建しているのもうなづけます。

曇英恵応(大光宗猷禅師)は草津温泉の象徴的存在である湯畑の石柵にその名が刻まれています。

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