草津温泉(日本三名泉・薬泉)

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草津温泉(日本三大名泉)・歴史:概要 草津温泉は東日本を代表する名湯として知られ、その肩書きだけでも日本三名泉(林羅山・万里集九)、日本三大薬泉、上毛(群馬県)三名湯、自噴日本一(複数源泉:毎分32,300L以上)、露天風呂日本一(草津温泉露天風呂:150坪)、江戸時代に編纂された温泉番付(諸国温泉功能鑑)の東方大関(横綱は空位の為最高位は大関とされました。因みに西方の大関は有馬温泉)がありました。その効能は古くから知られ、日本武尊、行基菩薩、源頼朝、本願寺蓮如、長尾為景、長野業尚、大光宗猷禅師、丹羽長秀、堀秀政、多賀新左衛門、朝日姫(豊臣秀吉の妹)、豊臣秀次、依田康国、前田利家、大谷吉継などの歴史的人物が入湯したとされ、江戸時代には8代将軍徳川吉宗が草津温泉の源泉を湯畑から汲み上げ江戸城まで運ばせたそうです。草津温泉が科学的にその効能が証明されたのは明治時代に入ってからで、明治11年(1878)ドイツ人医師であるエルヴィン・フォン・ベルツが初めて草津温泉を訪れると、明治13年(1880)に「日本鉱泉論」、明治29年(1896)に「熱水浴療論」を発表し草津温泉の効能を世界に広め、温泉保養地としての開発にも尽力しました。主な源泉は湯畑、白旗、西の河原(賽の河原)、綿の湯、熱の湯、地蔵の湯、ゆりかご橋、万代鉱、香草。泉質は酸性泉(酸性低張性高温泉)。適応症は神経痛、関節痛、皮膚病、糖尿病、高血圧症、動脈硬化症、慢性消化器病など往時は「万病に吉」とされ梅毒、ハンセン病(らい病)、脚気の湯治客が多かったそうです。

草津温泉:歴史上の人物入湯の歴史
 ・ 景行天皇2年〜景行天皇45)−日本武尊(景行天皇の皇子)伝
 ・ 天平年年(724〜748)−行基菩薩(奈良時代の高僧)伝
 ・ 建久4年(1193)−源頼朝(初代鎌倉幕府将軍)伝
 ・ 文明4年(1472)−蓮如(本願寺住職)
 ・ 明応4年(1495)−横瀬成繁(金山城主)
 ・ 大永年(1526)−長尾為景(上杉謙信の父親)
 ・ 大永6年(1526)−長野業尚(箕輪城主)
 ・ 大永6年(1526)−大光宗猷禅師
 ・ 天正10年(1582)−丹羽長秀(織田信長家臣)
 ・ 天正10年(1582)−堀秀政(織田信長家臣)
 ・ 天正10年(1582)−多賀新左衛門(織田信長家臣)
 ・ 天正15年(1587)−朝日姫(豊臣秀吉の妹・徳川家康の正室)
 ・ 天正16年(1588)−豊臣秀次(関白・豊臣秀吉の甥:養子)
 ・ 天正16年(1588)−依田康国(小諸城主)
 ・ 文禄3年(1594)−大谷吉継(豊臣秀吉家臣)
 ・ 慶長3年(1598)−前田利家(加賀100万石)
 ・ 文化5年(1808)−小林一茶(俳人)
 ・ 文政2年(1819)−十返舎一九(上州草津温泉道中膝栗毛作者)
 ・ 嘉永元年(1848)−佐久間象山(松代藩士・松代三山)

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草津温泉・歴史・見所

湯畑(草津温泉の源泉)
湯畑
光泉寺
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頼朝宮
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白根神社
白根神社
金刀比羅神社
金刀比羅神社
西の河原
西の河原
歴史・観光・見所
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鬼の茶釜
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鬼の相撲場
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ベルツ・スクリバ両博士像
ベルツ・スクリバ
白旗の湯
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地蔵乃湯
地蔵乃湯
温泉街:写真
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地蔵堂
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日晃寺
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湯畑:御汲上之湯
御汲上之湯
白根山
白根山
穴森稲荷神社
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