須賀尾宿
須賀尾宿・概要: 案内板によると「須賀尾宿は、江戸と京都を結ぶ中山道から分かれた信州を結ぶ街道の五番目の宿場町です。この宿は江戸時代のはじめ元和十年(1624年)に、街道整備の一つとして整備されました。信州街道は中山道の高崎宿から分かれ、榛名山南西を通り吾妻郡に入り、大戸宿から西におれ、鎌原宿、鳥居峠を経て信州に入り、北国街道と合流する。この街道は上州と信州を最短距離で結ぶ主要街道で、大戸、大笹に関所が設けられました。須賀尾宿は、信州街道と草津道の分岐点で、峠下の宿場です。北信州の飯山、須坂、松代の殿様の「廻米」(食料)や武家・商人の荷物、また文人墨客・草津温泉入湯客や善光寺詣の客が往来し、宿場には茶屋・居酒屋・旅籠などが建ち並ぶなど旅客で大いに賑わいを見せ、現在でも多くの家に屋号があり、繁栄した面影が偲ばれます。文化5年(1808年)、俳人小林一茶は草津への旅の途中『須賀尾宿』に泊まり、次の句を詠まれました。『麦わらのマンダラもおれ筥根山』」とあります。須賀尾宿は草津街道との分岐点であると同時に浅間隠温泉郷(薬師温泉・鳩の湯温泉・温川温泉)との分岐点でもあり、享保6年(1721)には「右 信州 くさづ 道 左 鳩ノゆ」の道標が建立されています。現在の須賀尾宿は古民家は少ないものの街道沿いには民家が軒を連ね宿場町だった雰囲気は残されています。又、町づくりの一環で敷地内にはそれぞれの屋号の看板が建てられています。
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