湯河原温泉との関係性
【 行基・伝説 】−天平15年(743)、奈良薬師寺の僧侶だった行基菩薩は聖武天皇の勅命を受け紫香楽宮(近江国甲賀郡紫香楽村:現在の滋賀県甲賀市)の隣地に大仏を鋳像する事となり、多くの庶民から勧進を得る為に全国くまなく巡錫を行いました。日もそろそろ落ちはじめ箱根山を何とか越えようとした際、1人の乞食と出会いました。乞食は身なりが悪いだけでなく、病気の為か悪臭のする息を吐き、幾つもの膿をもった吹き出物が肌を覆っていました。行基菩薩は無視して乞食を通り過ぎようとしましたが、乞食は「あなた様は仏の力で世の中を救おうとしているようですが、乞食1人を救えない人がどうして世の中を救えるでしょうか。」と問いました。行基菩薩は「それでは、どの様にすればあなたを救える事が出来るのでしょうか。」と答えると、乞食は「この山の向こうに霊泉が湧き出る渓谷があるから、私を背負って湯浴びをさせてほしい。」と懇願しました。行基は気持ちが悪くなるような悪臭に耐え源泉に辿り着くと、乞食の服を脱がし、綺麗に体を源泉で流し、膿を1つ1つ癒してやると、突如として乞食は神々しい光を放ちはじめ薬師如来の姿となりました。薬師如来は「あなたが今やった行いこそが仏の道そのものです。その気持ちを忘れずこれからも精進して欲しい。この源泉は多くの人の病に効く功能を持っているから、あなたが少しここに留まり病で困っている多くの民衆を救いなさい。」と告げ姿を消しました。行基は、この源泉に温泉場を設けると何時しか「薬師の湯」と呼ばれるようになったと伝えられています。
【 行基・実・年表 】−天平15年(743)に廬舎那佛造営発願の詔が発布され、行基は弟子共に勧進に奔走しています。この事跡が上記の伝説に繋がったと思われます。
【 場 所 】−神奈川県湯河原町
【 概 要 】−湯河原温泉の開湯伝説には行基の他、役行者や加賀の山伏、弘法大師、タヌキの大きく4説あり何れも真偽不詳とされます。何れにしても、7世紀後半から8世紀後半頃に編纂され現存する日本最古の和歌集である万葉集にも詠われてる事から少なくとも奈良時代には湯河原温泉の存在が中央にも聞こえる存在だった事が窺えます。明治時代以降は文人墨客から愛され夏目漱石や島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎が湯治に訪れています。
【 行基・周辺・史跡 】−香林寺(神奈川県小田原市板橋:本尊の薬師如来像は伝:行基作)・東学寺(神奈川県小田原市別堀:寅薬師瑠璃光如来像は伝:行基作)
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