行基と関金温泉

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関金温泉との関係性

【 行基・伝説 】−天平3年(731)、行基菩薩が当地に千光寺(大滝山地蔵院の前身)を創建した際、湯谷川で傷付いた鶴が温泉に浸かり傷口を治している姿を見て源泉の存在を知ったのが始まりとされます。

※大滝山地蔵院の境内にある案内板では天平3年(731)、ウィキペディアとそれに影響されたサイトでは天平勝宝8年(756)に行基菩薩により創建された旨が記載されていますが、行基は天平21年(749)に死去している事から、当サイトでは天平3年(731)説を有効として考えています(行基菩薩が本当に当地に来たのかは判りませんが?)。

関金温泉   関金温泉

【 行基・実・年表 】−天平2年(730)、摂津国西成郡(大阪府大阪市)に善源院とその尼院、摂津国兎原郡(兵庫県芦屋市・神戸市)に船息院とその尼院、摂津国嶋下郡(大阪府茨木市・摂津市・吹田市)に高瀬橋院とその尼院を起工。天平3年(731)、摂津国河辺郡(兵庫県川西市・伊丹市・尼崎市・宝塚市)に楊津院、崑陽施院、河内国丹比郡(大阪府松原市・大阪狭山市・堺市東区・堺市美原区)に狭山池院とその尼院、山城国紀伊郡(京都府京都市)に法禅院、山城国葛野郡(京都府京都市)に河原院、大井院、山城国乙訓郡(京都府大山崎町)に山崎院、隆福尼院を起工。天平5年(733)、河内国茨田郡(大阪府守口市・門真市)に救方院、薦田尼院を起工。

【 場  所 】−鳥取県倉吉市関金町

【 概  要 】−関金温泉は行基が去った後に忘れ去られましたが、弘法大師空海が巡錫で大滝山地蔵院を訪れ、宿泊した次の朝、境内の前に流れる湯谷川で顔を洗うと、温かい水を感じられた事から、村人と相談し川底を掘ったところ源泉が湧出てきたそうです。文治4年(1188)に源頼朝の命により地蔵院が再興されると最盛期には境内には七堂伽藍、参道には42坊が建ち並び昼夜往来絶える事なしと言われる程繁栄した事から関金温泉も寺院の関係者や参拝者、湯治客が利用したと思われます。江戸時代に入ると備中街道(美作街道)が開削され関金温泉の温泉街は宿場町としての機能も持った事から旅人や商人達も汗を流したと思われます。

【 行基・周辺・史跡 】−大滝山地蔵院(鳥取県倉吉市関金町:天平3年:731年に行基が前身である千光寺を創建)

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※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。