鹿教湯温泉との関係性
【 行基・伝説 】−聖武天皇(第45代天皇・在位:724〜749年)の勅命により行基菩薩が全国を巡錫し当地を訪れた際、目前に現れた今まで見た事も無い素晴しい景観に心打たれました。行基菩薩は急いで都に戻り天皇に霊地を思われる3箇所を上申し、自らその霊地に見合う3躯の文殊菩薩像を彫刻、その内の1躯を弟子である円行に託しました。円行は文殊菩薩像を携え当地に赴くと、文殊堂を設けて安置したと伝えられています。以来、「日本三大文殊」の1つとして広く信仰の対象となり、鹿教湯温泉も「文殊の湯」の別称があります。
【 行基・実・年表 】−省略
【 場 所 】−長野県上田市
【 概 要 】−上記の文殊堂の由来とは別に、鹿教湯温泉には次のような伝説が伝えられています。日頃から文殊菩薩を篤く信仰していた1人の猟師が深い山に迷い込むと、文殊菩薩の使徒である1頭の鹿が出現し、源泉に導いたと伝えられています。この伝説を信じるならば、行基が彫刻した文殊菩薩像が猟師を導いたような印象を受けますが真偽の程を不詳です。本格的に温泉街として整備されたのは江戸時代に入ってからで、上田藩(後に松代藩)の藩主真田家の家臣筋だった高梨釆女が湯治場を設け、その後裔が斎藤に姓を改め、現在の鹿教湯温泉の老舗温泉宿である斎藤ホテルになったそうです(関ヶ原の戦い後、真田昌幸・幸村父子に従い九度山に随行した家臣高梨内記の一族と思われます)。又、当時から「中風」に功能があるとして広く知られていたようで、上野国新田郡(現在の群馬県太田市)の代官が「中風」治療の為、鹿教湯温泉に長期間湯治を行い、その時の様子を「中風日記」でまとめています。
【 行基・周辺・史跡 】−別所温泉(長野県上田市:温泉街に境内を構える安楽寺と常楽寺を行基菩薩が創建したと伝わる)・実相院(長野県上田市真田町:神亀2年:725年に行基により創建)・長命寺(大日堂:長野県東御市祢津:天平元年:729年、行基が巡錫で訪れた際に一刀三礼で木像を彫刻)
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