行基と東山温泉

  日本三名泉(ホーム)行基菩薩と温泉>東山温泉

東山温泉との関係性

【 行基・伝説 】−天平年間(729〜749年)に行基菩薩が全国を巡錫し当地を訪れた折、紫雲棚引く山を見つけ、その山に入ると黒川(現在の湯川)の畔に着く事が出来ました。しかし、紫雲が見えなくなり困っていると突然出現した三本の足で神々しい光を放つ烏(八咫烏と思われる)に導かれ、野猿が源泉に浸かっているのを発見しました(その由来から源泉は「猿湯」と呼ばれるようになっています)。さらに、妙見菩薩・聖観音菩薩・軍荼利明王の三尊が出現した事から三尊を祭る三社権現を創建し、別当寺院である東光寺を開山したと伝えられています。明治時代の神仏分離令後は羽黒山湯上神社となり現在でも東山温泉の関係者や湯治者から信仰されています。

東山温泉はその後、出羽三山(山形県鶴岡市)の羽黒山修験の一大拠点として発展し、八咫烏に導かれ開山に至る過程が、出羽三山を開いた蜂子皇子(崇峻天皇の皇子)の場合と酷似する事から東山温泉の由来についても大きな影響力があったと思われます。

東山温泉   東山温泉

【 行基・実・年表 】−天平2年(730)に善源院、船息院、高瀬橋院を起工。天平3年(731)に楊津院、狭山池院、法禅院、河原院、大井院、山崎院、隆福尼院を起工。天平5年(733)に救方院、薦田尼院を起工。天平6年(734)に隆池院、深井尼院、吉田院、沙田院、呉坂院を建立。天平9年(737)に鶴田池院、頭施院を起工。天平12年(740)に泉橋院、隆福尼院、布施院。天平15年(743)から奈良東大寺大仏建立始まる。天平17年(745)に大僧正となり、平城遷都、大仏鋳造を再開に尽力、大福院、、難波度院、枚松院、作蓋部院を建立。天平21年(749)に死去。

【 場  所 】−福島県会津若松市東山町

【 概  要 】上山温泉(山形県上山市)、湯野浜温泉(山形県鶴岡市)と共に奥羽三楽郷の1つ。東山温泉の近くのは中世、長く会津地方を支配した芦名氏の菩提寺の1つ天寧寺が境内を構えていた事から「天寧湯」とも呼ばれていました。天正18年(1589)、芦名氏は米沢城(山形県米沢市)の城主伊達政宗に摺上原の戦いで大敗し実家(佐竹氏)のある常陸国(現在の茨城県)に逃れ為、天寧寺も移され為、境内には伊達家縁の輪王寺が入ります(地名は引き続き「天寧」)。同年、奥州仕置で豊臣秀吉が会津入りを果たした際には東山温泉近くの背炙り峠を越えてきている為、温泉にも湯浴びしたと想定されています。江戸時代に入ると会津藩の保養所となり、幕末では戊辰戦争の1つ宇都宮城(栃木県宇都宮市)の戦いで負傷した新撰組副長の土方歳三が湯治に訪れ、再興された天寧寺の境内に近藤勇の墓碑を建立しています。温泉街の一角に鎮座する「高志王神社」は秋田県秋田市寺内に鎮座する古四王神社を本社とする神社で、古四王(大毘古命=大彦命)信仰が会津地方まで浸透していた事が伺えます。

【 行基・周辺・史跡 】芦ノ牧温泉(福島県会津若松市大戸町:行基発見の伝説)。

スポンサーサイト
行基菩薩縁の温泉

作並温泉東山温泉(湯上神社)芦ノ牧温泉草津温泉(光泉寺)藪塚温泉湯河原温泉野沢温泉(小菅神社)
渋温泉湯田中温泉別所温泉鹿教湯温泉山代温泉山中温泉(薬王院温泉寺)吉奈温泉(善名寺)谷津温泉
蓮台寺温泉三谷温泉木津温泉関金温泉(大滝山地蔵院)塩江温泉有馬温泉(温泉寺)深谷温泉花山温泉
伊香保温泉鷹の湯温泉栃尾又温泉雲仙温泉裂石温泉(慈雲寺)大湯温泉井原温泉
※ 「行基菩薩と温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論ばかりなので最終的の責任は負いかねますので、問題等ありましたら自己責任でお願いします。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。