行基と薬師信仰
行基・概要: 行基菩薩(生誕年:天智天皇7年:668年〜没年:天平21年:749年)は奈良時代の高僧で、当時、仏教が朝廷内の天皇や貴族など限定的だったのに対し、禁止されていた一般庶民への仏教の布教を行った人物とされます。特に、布教活動の拠点となる寺院や道場の創建だけでなく、数多くの公共事業や慈善事業を行う事で民衆から絶大な支持を受けました。当初はこれらの行為は朝廷から弾圧されましたが、その後は天皇や貴族からも帰依されるようになり、日本で最初の大僧正となっています。又、奈良の大仏の造立にも尽力し東大寺「四聖」の一人に数えられています。天平21年(749)に喜光寺(菅原寺)で死去。享年81歳。全国には行基縁の寺院が数多く存在し、古代の日本地図である「行基図」を製作したとも云われています。
日本三名泉と行基菩薩: 行基縁の温泉は全国各地に存在し、中でも日本三名泉の1つ草津温泉(群馬県草津町)を開いたと伝えられています。同じく日本三名泉の1つの有馬温泉(兵庫県神戸市)では、薬師如来の化身である1人の老人に導かれた行基菩薩が荒廃した有馬温泉を再興したとされ、仁西、豊臣秀吉と共に「有馬三恩人」と讃えられています。
行基菩薩と薬師信仰: 薬師信仰は奈良時代以降に盛んになった信仰で、日本の天台宗の開祖である最澄が比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本)の本尊として薬師如来像を迎えた事で全国の天台宗の寺院で祭られるようになりました。一方、行基は薬師信仰を民衆の布教に尽力し、公共事業や慈善事業の一環として薬草を植えその功能を教え、当時、薬や医術が確立していなかった事から薬師如来を薬と医療を司る仏として篤く信じれば病が平癒すると教えを説きました。当然、奈良時代の人達には温泉の科学的根拠など判るはずもありませんが、湯治は立派な医療行為の1つとして考えられた事から、温泉と薬師信仰は強く結び付きました(日本三名泉最後の下呂温泉も源泉が枯渇した際に薬師如来の化身と思われる白鷺の導きにより新たな源泉が発見されという伝説が残されています)。その為、薬師信仰を民衆に説いた行基が全国各地の温泉地に縁を持ったと考えられます(殆どは、行基の名声に肖ったもので、事実かどうかは判りません)。又、温泉地に関わらず、行基が彫刻したとされる薬師如来像は数多く信仰の一端が窺えます。 |