芦ノ牧温泉との関係性
【 行基・伝説 】−和銅年間(708〜715年)、3年続けて凶作が続いた為、日本各地で夥しい餓死者、流行病の蔓延、悪行の横行が流行った為、行基菩薩に仏教の教えを説くことで世の中を安寧に導かせる為に天皇の勅命が下りました。行基は全国を巡錫の折当地(福島県会津若松市大戸町芦ノ牧)に差し掛かると、川辺に湯煙が立ち鶴や亀の脚や眼の病を治すのを御覧になり、民衆の病弱を治す湯場を造ったが始まりと伝えられています。高台には三日月不動尊と呼ばれる行基が彫刻した大聖不動尊(日本武尊・金比羅大権現)が祀られています。
【 行基・実・年表 】−和銅元年(708)に神鳳寺(和泉国大鳥郡)を建立。和銅5年(712)に布施屋設置したとされます。
【 場 所 】−福島県会津若松市大戸町芦ノ牧
【 概 要 】−中世の長く会津地方の領主を勤めた芦名氏の牧場(軍馬の養成地)がこの近くに作られていた事から「芦ノ牧」の地名の由来になったとされます。文治3年(1187)、源頼朝が兄である源頼朝に謀反を企て京都を追われ、奥州平泉(岩手県平泉町)の藤原氏を頼る為にこの地を通過した際に芦ノ牧温泉で湯浴びした伝説が残されています。江戸時代までは周辺住民の素朴な湯治場でしたが、明治17年(1884)に当時の福島県令である三島通庸が会津三方道路を開削した事で多くの湯治客が訪れるようになり開発が進みました。因みに江戸時代までは会津西街道が大動脈として大内宿(福島県下郷町)などの宿場町が栄えていましたが、会津三方道路は大内宿をスルーしてしまった事で衰退し、現在でも当時の町並みが残される要因の1つとなっています。
【 行基・周辺・史跡 】−東山温泉(福島県会津若松市東山町)。
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